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ライフリンク・メディア報道・北東北フォーラム・2011年10月

秋田魁新報社、東奥日報社、岩手日報社の北東北3県の新聞社が毎年開いている「自殺対策を官・学・民で考える いのちを守り、いのちを支える全国フォーラム」の内容を引き続き新聞記事から紹介します。今回は2011年10月に開催されたフォーラムを取り上げます。東日本大震災から7カ月余り。震災の爪痕も生々しい時期の開催でした。「いのちを守る」ことの意義が、改めて浮かび上がりました。

2011年10月31日 秋田魁新報

ライフリンクの清水康之代表の発言です。
二つの柱に沿って話す。一つは基本法成立までの過程。国内では毎年3万人超が自殺で亡くなっている。これほど多くの人が亡くなっているのに、05年ごろまでは『自殺は個人の問題で、行政が介入する余地はない』というのが政府の基本的姿勢。担当部署も、予算も、当然取り組む意思表示もなかった。こうした状況を変えようと立ち上がったのが、親を自殺で亡くした子どもたち。00年に自分たちが体験したつらく、さみしい、自責の思いを小さなA5版の冊子に綴った。その小さな声を聞いた大人たちが社会に伝え、社会的問題として自殺対策に取り組むべきだとの機運が高まり、基本法につながった
二つ目の柱は、この5年間で何が実現できたかということ。警察庁が自殺に関する詳細なデータを公表するようになり、地域の実情に応じた対策が可能になった。毎年3月の自殺対策強化月間や自殺対策強化基金など、政府が地方の対策を後方支援する仕掛けができた。今、対策の主戦場は政府から地域・自治体に移ろうとしている

がんと闘いながら自殺対策基本法の成立に、まさに命をかけて尽力した故・山本孝史参院議員の妻、山本ゆきさんの発言です。
山本の基本法に対する思いを語るのは、命への思いを語るということ。山本は5歳の時に3歳年上の兄を交通事故で亡くし、大学時代から交通遺児支援運動に取り組み始めた。卒業後に交通遺児育英会に入り、20年ほど勤め、1993年に国会議員に初当選。薬害エイズ、医療・年金・介護の社会保障制度、がん、自殺問題・・・。命に係わるテーマに取り組んできた
2005年末、山本自身に胸膜がんが見つかった。手術も放射線治療もできず、抗がん剤による延命治療しか残されていなかった。真っ先に考えたのが、自殺対策基本法。『自分が成立させなければ、国会の中で自殺対策は崩壊する』という悲壮感と、『どうしてもバトンをつながなければ』との思いがあった
基本法の第19条には、山本の思いが込められている。『国や地方公共団体は、民間団体が行う自殺予防を支援するための必要施策を講じる』とある。山本は『どうぞ皆さんが民間の人たちを支援してください。そして民間の皆さん、今後どうかお願いします』という思いをこの条文に込めたのではないか

2011年10月31日 秋田魁新報

NPO法人全国自死遺族総合支援センター事務局の南部節子さんの発言です。
今も遺族は声を出しにくい。なぜ言えないのか。偏見によって遺族は声を上げられずにいる。自殺はなぜ起こるのか正しく理解してほしい。苦しい要因は何なのか。そして亡くなった人の何倍も、私たちのような遺族がいる。家族だけではない。親戚も友人もそうだ。事件や事故、病気と同じで『自死で亡くなった』と言える世の中になってほしい。『自殺で家族を失ったかわいそうな人』という目で見ないでほしい。『困ったことがあれば聞きますよ』『一緒に考えましょう』と言ってほしい

NPO法人蜘蛛の糸理事長、佐藤久男さんの発言です
「4月以降、岩手県釜石市の被災地で中小企業経営者の相談活動を行っているほか、秋田県への避難者を支援する『生きる希望と勇気のプロジェクト』に取り組んでいる。今後、仮設住宅で孤立した人や、経済的ダメージを受けた企業経営者の自殺が心配される。被災者支援で心掛けているのは、『被災者の悲しみ土足で踏み込んではいけない』ということ。そっと寄り添う姿勢が大事ではないか

秋田大学医学部長の本橋豊さんの発言です。
自殺対策基本法が施行されたのは2006年。それに先立つ05年5月に基本法成立に向けたフォーラムがあり、本日のパネリスト全員が参加し、成立への大きな原動力になった。基本法により、この5年間で日本の自殺対策は大きく進歩した。ただ、対策は都道府県でばらつきがある。全てが進んだ地域になることが、日本全体の自殺を減らしていくことにつながる

分科会でも熱い議論が交わされました。

2011年10月31日 秋田魁新報

写真は、川崎市の岡本太郎美術館にて。

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