戒めという名の、仕事との向き合い方
「履き違えていたかもしれない」
フリーランスになり、今年で2年目が過ぎた。この言葉がしっくりくる出来事があり、書き止めていきたい。
働き方のスタイルは関係なく、自分自身の仕事のスタイルを見つめ直す
フリーランスになり、今年で二年目が過ぎたところだ。私がフリーランスという形をとったのは思えば、海外で生活をするために、働くスタイルを正社員ではなく、自由に選択をしやすいフリーランスになったことがきっかけ。今思えば、フリーランスで仕事をした方が職種にもよるが、選択の幅が広がるが、かえって「いつでも長期的に」は違ったのかもしれないと思うようになる。
フリーランスという働き方は、当然だが雇用されているわけではないから、いつだって成果が求められるし、自分という人間を磨き続けなければ、求められることも必然的に少なくなってくるのではないかと思っている。
そして私は、知らぬ間にこの「求められる人物」から少し遠ざかってきたのかもしれないと思うようになった。それを履き違えるかのように「自分で選択をしている」と思うようになり、一番大切な基本の「き」すらも忘れかけてしまっていることにある人からの言葉で気づいた。
「あなたが何ができるのかアピールもないので、わからない」
私は、自分を発信することが得意ではなく、客観視ができずにフリーランスになったことに気づく。今までは、知り合いの紹介や運良く“日本にいるから”仕事をさせてもらえていたのかもしれない。会社員の頃は、調整役が恐らく得意だった。役職が上がれば、上司と部下の間で調整をしながら物事を進めていくのが私の役割だと当時思っていた。
ただ”何者にもなれない(デザインなどをつくることができない)調整役の自分”がこの先、5年後、10年後、、と会社員として働き続ける先が見えなかった。
この調整役をしていた当時の課題は「自分としての意見はないのか。私は何のために仕事をしているのか」ということ。自分の発言力や発信力のなさに愕然とした記憶がある。
本当はフリーランスではなく、まだまだ成長段階だったのかもしれない
半年間強、単身オーストラリアで過ごしてきて一番実感したことが、自分自身の弱さと足りない部分だった。そして、まだまだ勉強しないといけないことが山ほどあると思ったことだった。
ただ、この後に控えている海外帯同もあり、「働けない」という現実が直面していたので、本当はどこか組織に属して働きたいという思いがあった。
フリーランスで仕事をしていると、今の私の実力の範囲で仕事をいただいている。私の仕事は、専門職に近いので、会社員時代に使っていたソフトは正直揃えられていなくて、揃えられるソフトやスキルで対応をしている。
それも限界だなと少し感じていた。というよりも今のスキルで依頼をいただくと成長があまり手に取るように感じられていなかった。そしていつしか「作業」になってしまっていた。
業務委託=成果ではなく、時間での対価になっていなかったか考える
オーストラリアから戻り、これまで業務委託での仕事を中心に活動してきたが、お客様と直接関わり、仕事がしたいと思うようになった。そのため、少しずつシフトチェンジをしていた。ただこれも思うような結果に繋がっていないと感じ、業務委託の仕事を増やそうと、いつしか量を増やして時間を稼ぐ方になってしまっていたことに改めて気づく。
不安だった。その不安が逆手になり、自分自身を見つめ直すこともせずに、成果報酬ではなく、時間給(与えられた仕事を本質的に考えるのではなく、上辺ベース)での仕事になってしまっていると思うようになった。
本当は見直す部分を見直さなければ、今のクライアントも切れてしまうかもしれないのに。。。そのくらいの危機感がなかったのは、私の働き方や姿勢が全てだったと感じる。
働き方は関係なく、仕事の姿勢やプライベートすべてが今の結果
帰国して少し精神崩壊していたのも事実だった。全てが悲観的に囚われてしまっており、他人と比較をして、自分を落としてしまい、自信喪失をしていた。なかなかプラス思考になれず、仕事を生き甲斐としていた私にとって、今の自分がなかなか好きになれず、自分という存在価値を認められなかった。でも今の仕事に真摯に向き合っていたかという部分に関しても少し違っていたのかと思う。本当にこの言葉が刺さった。
もう一度考えよう、今何を与えることができるかを
タイトルの「与える」という表現があまり好きではないがわかりやすいために。これだけは絶対に負けない、伝えたい想いを今持ち合わせるスキルや人の繋がりを通して何ができるかをしっかりと考えよう。これがないと何をしても恐らく意味がなくなってしまう。
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