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活動を始めた「2007年・夏」のこと。


はい!「子どもたちにライジャケを!」のライジャケサンタです。今日もライジャケRadio!!スタートしていきます。

はい!というわけで、この前から「絵本の特別予約をスタートしました!」という話をしていますけども、たくさん絵本を予約してくれる方がいてですね。嬉しい限りでございます。まだまだ受け付けております。名前載るのがいつまでって言えへんのですけどもね。まだ名前載りますので、またぜひご予約ご検討くださいね。よろしくお願いします。

さて今日はですね、ちょっと僕、思い切って…いろんな思いをまとめていっている中の1つ、2007年の夏のことが、やっと言葉にできそうなので今日はそのことを話してみたいと思います。よろしくお願いします。

はい!というわけで、今日は特別な2007年、自分のこの活動がスタートした年の話ですね。活動は2007年の7月31日にスタートしています。最近まで、2009年に始めました!っていう風に言ってたんですけども、経歴を詐称してたんではなくて、実は2007年の7月31日に始めたんです。その夏、本当にいろんなことがありすぎて、僕の中ですごく大変な夏だったんですよね。

今日はちょっとそのことを思い切って話してみようと思ってるんですけども、多分ちょっと半泣きになると思いますけども、すでにちょっと涙が出そうですけど。

2009年に始めました!ってずっと言ってたのは、その悲しい夏をでスタートしたんですけども、数年後、2009年のゴールデンウィークに「よし!全国に広げるぞ!」っていう決意で、決意を新たにしてスタートしたのが2009年の5月なんですよね。

何かというと、実はその2007年の夏って、僕、小学校の教師してたんですけど、実はその夏に僕はフジムラはんっていう師匠と、一緒にカナダのユーコン川に一緒に連れてってもらう約束をしてたんですよね。

夏休みに入る前に子どもたちに「カナダ行ってくるわな!」と。「楽しみにしててや!」と。「お土産も買ってくるで!」みたいな話をして、夏休みに入ったんですよ。

夏休みに入ったそのすぐの7月31日に、僕が勤めてた小学校のと同じ小学校同じ内の小学生が2人、四万十川に市の行事で行ってて、流されて亡くなってしまうという悲しい事故があったんですよね。

僕それ、ニュースで知ったとたんその場で泣き崩れたのを、ほんまにはっきり覚えてます。で、その日の夜に僕ホームページを立ち上げました。「子どもたちにライジャケを!」っていうね。あの僕がもうちょっとメッセージをちゃんと広げてたら、この事故は起こらへんかったはずや…というのを、その日に思ったんですよ。


ていうのも、自分が「行ってくるわな!」」って言ってた小学校で、水辺の行事があったんでね。川に連れて行く行事があったんで、「ライフジャケットを着けさせましょう!」って話をして、やっと学校にライフジャケットを揃えて、「あぁ、よかった…。」って安心してたんですよ。

そしたら、隣の学校って言ってもいいぐらいな近い小学校の子らが四万十川に遊びに行ったときに、流されて亡くなってしまったんですよね。悲しすぎてどうしようもなかったんですけども、とにかく何かせなあかんと思って、ホームページ立ち上げて、賛同者を集めるっていうことをスタートしました。

で、「あぁ、ユーコン行くんやな…。」と思って、夏休みに、フジムラはんところにもちゃんと最後の挨拶で行って、「1週間後に出発やな!」っていう話をして、「さあ!行くぞ!」っていう話をした翌日だったと思うんですけど、実はフジムラはんが倒れましたというね連絡が来ましてね。もうそのまんま意識がなくなって病院に入院したんですよ。

で、フジムラはんって、僕の師匠なんですよね。学生のときからずっとカヌーに連れてってもらったり、キャンプに連れてってもらったり、ギターで一緒に歌を歌ったり、フジムラはんの家であったライブで初めて三線でライブさせてもらったり、もう何もかもフジムラはんと一緒に始めたような感じでやってきたんですけど…

その…ちょっとしんどいっすね。でもがんばって喋るんですけどね。

その夏、藤村さんが倒れてから2週間経った後、亡くなってしまいましてですね。

2007年の夏はね、とんでもなく僕にとっては大変な夏でした。悲しい事故もあったし、師匠も亡くなってしまったし…ってことで。夏休み明ける前に、藤村のお葬式とか全部終えて、直後に2学期がスタートしたんですけども、子どもたちは「先生カナダ行ってきたん?」、「楽しかったん?」っていう話を聞いてくるんですけども、あまりに悲しくて、きちんと答えられなかったことを覚えています。

でも、僕にとってはすごい大きかったけど、夏休み明けからすぐまた四万十の事故を受けて、「子どもたちにライジャケを!」の賛同者を集めるっていう、「ライフジャケットを着けさせましょう!」っていう話をメッセージとして発信をし始めました。

同じ学校の先生は、「森重くんが言ってたこと、そのままやな。」と、「ライフジャケットを着けたから助かったはずやな。」っていうことを、同じ小学校の先生はすぐに言ってくれました。

その通りだと思うんですよ。

で、市内の小学校の先生とか、家族とか、友達から「ライフジャケット」のメッセージを伝えたいから、「賛同者になってくれへんか?」っていう話をしてホームページに賛同者として名前を連ねていってもらいました。そういう活動をずっと続けてたんですけどね。

フジムラはんは車椅子の人なんですけども、3輪にバイクを改造して、アメリカ大陸横断するという、すげえことをやってのけたおっさんなんですけども、ハーレー乗っててね。ハーレーを三輪にして「トライク」って言うんすけど、改造して…。

「モリシゲはん、一緒に乗ろうや。」っていう話されてたけど、僕、お金なかったんで「また一緒にね!」って言っててんけど。亡くなってしまったんで、僕その葬式の帰りにすぐ教習所に大型申し込みに行って、免許取れたらすぐ、その足で1000円だけ手付金払って、ハーレー買ったんですよね。

そのハーレーで初めて四万十川に旅しようと、あまりにつらくて四万十なんか行きたくなかったけど「四万十行こう!」と思ってバイクで、四万十行って、現場を見て…。

四万十の口屋内っていうところにね、酒井さんっていうフジムラはんと知り合いのおっちゃんがいるんすけどね。そのおっちゃんとこ行って、朝7時半に行ったんですけど、ひたすらビール出されて、ビール飲みまくってたんですけど。そのおっちゃんに「お前がいるのになんでそんな事故を起こしてまうんや!」というふうに説教されたりしてね。ボクがやっぱり、しっかりメッセージ広げなあかんな…と思ったのが、2009年のゴールデンウィークなんですよね。

で、フジムラはんのおかげで、フジムラはん亡くなってから僕、フジムラはんのおかげでいっぱいいろんなことを始めたりしてるんですけども。ハーレーで、行って帰ってきて本格的に始めたんです。ずっとしてたんですけど、きちっと始めたっていうのは2009年っていう風に言ってたんですけどね。

だんだん最近活動広がってきて、「どうやって活動を始めたんですか?」って言われたときに、「四万十であった事故の夜に始めました。」って言ってるのが2007年なのに、活動を始めたのが2009年という矛盾した状態がずっと続いてたので、整合性をきちんとするために2007年スタートって言うように変えました。だから、表記としては2009年っていうスタートになってたり、2007年になってたりするんです。最近はあの2007年というようにしてますけどね。

そんなフジムラはんがユーコンに…。車椅子の方なんでね。サポートを1人連れていける、ってことで僕を指名してくれたんです。フジムラはんとは、よう遊んでたんですけどね。障害者カヌーとはちょっと離れてたんで、「藤村はん、もっと若い子連れてったら?」って言ったら、フジムラはんは「いやいや、お前に世界を見てもらいたいんや。」と、なんかかっこいいこと言うんですよね。ほんなら行こうかっていう話をしたんですけど…。結局連れてってもらえなかったんですけどね…。

そのおかげで僕は、世界のことも見て活動していこう、がんばっていこうという風に思ってました。このライフジャケットの活動も始めてしばらくして、アメリカの方と連絡取れたり、今回もうすぐ出る絵本にも、アメリカのテッドさんっていう人にメッセージもらってるんですけどね。おかげでちゃんと広がってます。

子どもたちにライジャケを!の活動とか、今やってることとか、皆さんが応援してくださってることとかっていうのは多分世界のどこの国でもなかなかできへんことをやってるんやと思うんでね。ぜひもっと広げて、日本発で日本から「世界中の子どもたち守るんや!」っていうぐらいの勢いでね、広げていきたいなと思ってます。

今日は2007年夏のことを話してみようと思ったら、思った通り涙が出てきてしまいましたけど…。僕の中で1回整理しとかなあかん話でもあったんで…。聞いてもらって…。すいません。こんなん聞かせて…。けど、そんな感じで活動始めたんだよね。またよかったら、「子どもたちにライジャケを!」を応援してもらえると嬉しいです。

すいません。今日ちょっと長くなりましたけど…。

思いをただ1つ…子どもたちの命を守ること。
どうか1人でも多くの方にメッセージが伝わりますように。

今日も聞いてくださってありがとうございました。

それではまた。

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