日記 2020/07/09 鍵編み

今日は休みだったので、保育園へ娘を送り届けた後、妻がやっているヨガ教室へ。保育園に送り届けてから家まで20分かけて歩いたため、家に着いた時には汗びっしょりだった。さすがにそのままヨガ教室に行くわけにもいかず、軽くシャワーを浴びて髪をセット。9時半からヨガ教室。

朝からヨガレッスンを受けるのは久しぶりのことだったが、保育園から家まで歩いたことが良かったのか、いつものように朝の身体の硬さを感じることはなかった。ヨガ中に突っ張るところはいつものように腰のあたりで、その突っ張っているところが柔らかくなるようにシッティングからゆっくりとレッスンを進めてくれた。最後は太陽礼拝。太陽礼拝はこの数ヶ月はAのみでBをすることはほとんどなかったので、Bはやたらとキツく感じた。呼吸が乱れ、3回目のチャトランガの際に余分に一呼吸入れなければならなかった。でもBをやることによってAでは感じることのない身体の伸びを感じることができて、終わった後のシャバーサナは気持ちが良かった。

ヨガが終わったら、そのまま同じ場所で鍵編み教室に参加。妻の仕事のパートナーが先生を務める。2週間前にも一度参加したのだが、その時は娘含めて3人の子どもがいて、娘がずっと泣いていたため途中から断念した。そもそも、鍵編みを教わっている間、何をしているのかさっぱり訳が分からなかったから、たとえ子どもがいなくても断念していたかもしれない。1回目の教室の後、妻に何回か教えてもらったが、訳が分からない感じを残した状態で今日のレッスンに挑んだ。始まる前は少し緊張した。

僕以外にも参加している人が1人いて、先生はその人についていたため、基本的には妻に教えてもらうことになった。今日は基本中の基本を教えてもらうようリクエストしていたこともあって、妻から教えてもらっても今回はあまり混乱することはなかった。

鍵編みは作業に集中してしまうから、作業している間は妻の話していることはほとんど聞こえず没頭していた。気になることがあった時だけ顔を上げて妻に聞いた。失礼な生徒だ。

基本中の基本だったから何か作品を作り上げたわけでもないのに、今日の鍵あみをしている間は結構楽しかったし達成感もあった。仕事や書く時とはまた違う没頭である。夜、妻が鍵あみに没頭している姿をよく見かけていたけれど、没頭する理由が初めてわかった。

棒編みではあるけれど、坂口恭平も編み物をしていて、編み物は鬱抑制にいいといったことを書いていた。その理由はわかる気がする。リラックスしているというのも違うが、緊張しているのとも違う(やり始めは少し緊張したけれど)。没入した状態。思考が働かない。娘が夢中になって遊んでいる状態と少し似ているのかもしれない。没頭状態から戻ると、編んでいる対象と僕の間に空白があったことを感じる。

編み物をする間の没頭する状態は、ただリラックスするだけでは作ることはできない。仕事と仕事以外、オンとオフで考えてきたが、オフにもいろいろあるし、単にオンとオフで切り分けることができるわけではない。鍵編みをしている時というのは気持ち的にはオフでありながら、対象との向き合い方ではがっつりオンである。

鍵あみ、続けてみようかな。

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