日記 2024/12/09〜2024/12/15 発表会
2024/12/09
昨日が寒かったので今日は厚着して出かけた。昨日は日曜で電車も混んでいなかったので電車を使って出勤したのだが、今日は平日なので徒歩で出勤。真冬なみの暖かい格好をして家を出たら、歩いて5分もしているうちに汗をかいて暑くなってきた。着込むと体内に熱がこもりやすく、歩くとすぐに暑くなってしまう。それはわかっていたことのはずが、久しぶりの寒さで必要以上に着込み過ぎていたようだ。ニット帽もかぶっていたが、髪が長いので頭が蒸れる。
しかし、なかなか服選びが難しくはある。オフィス内や歩いているときにはさほど着込まなくても問題はないが、少し外を出る時にはやはり寒い。ちゃんと着込まないと風邪をひいてしまう。でもちょっとでも動いたり屋内に入ると暑い。冬はこの問題が辛い。頻繁に着脱すること前提であるから荷物も多くなってしまう。
さて、今日は現役ドラフトで、久しぶりの野球の話題のように思うが、現役ドラフトというのはどういう気持ちで受け入れればいいのかわからないというのが正直なところだ。現役制度で活躍する選手もいていい制度なんだろうが、ホークスで活躍した選手もしくは活躍が見込める選手をこの時期に送り出すのは複雑である。移籍先で活躍してほしいと願いつつも、いなくなることの寂しさがある。大喜びで送り出したいが、ホークスでの活躍がもっと見たかったという気持ちになる。
大竹も水谷もそうだったが、2人とも移籍先で大活躍していてすごい。ホークスにきた選手も、引退はしたが古川は地元に近い選手で応援していたし、長谷川は大活躍だった。今年の現役ドラフトはどうなるのだろう。
2024/12/10
これまで通りであれば17時過ぎには発表されるはずの現役ドラフトが17時半回っても発表されず、仕事中ではあったがいつ速報がくるかとソワソワしていたら18時ころに速報が。目を疑った。吉田賢吾?
吉田賢吾は小久保監督からの評価が高く、期待のバッターであることもあって現役ドラフトの候補になるとは思っていなかった。1軍での出場はわずかであったがそれなりに存在感を示していたし、2軍戦では3割超えの打率、今後すごいバッターになるんだろうと思っていた。来年は1軍での活躍がもっと見られるだろうとも期待し、楽しみにしていた。プロスペクトだと思っていたし、個人的に期待し、好きな選手だった。
しかし考えてみれば吉田賢吾のポジションは他にも有力な選手がたくさんいる。吉田はキャッチャー登録だが、出場していたのはほぼファースト。ファーストには不動の4番である山川がいるし、吉田と似たタイプでいえば今年支配下に上がった石塚もいる。おそらく石塚との比較になったんだろう。井上やリチャードなど、他にも長打を期待できるバッターがいて、ダブついているといえばそうなんだろう。現役ドラフトの主旨でいえば、もっとも相応しい選手だったのだろうとは思う。だけれども、個人的にはやはり残念でならない。きっとホークスでもっと活躍できる未来があったはずだ。しかも移籍先や去年の水谷引き続き日ハム。来季はさらに力をつけてくるだろうライバルチームに有望株を渡してしまった。正直なところ、日ハムでなければと思わないこともない。日ハムで活躍する吉田の姿が今から目に見えるようだ。きっと苦しめられる。
だが、重ねてではあるが、きっと活躍するだろう吉田賢吾のことを考えると、これは現役ドラフトの主旨に沿った選手を出したということに他ならず、移籍が決まった以上は、日ハムに移籍する吉田賢吾を応援し続けるしかない。吉田賢吾は日ハムのユニフォームが似合いそうだなぁ。
ホークスに移籍したのは上茶谷。あまりセリーグの試合を観ることのない僕でも上茶谷の名前は知っているし、そもそもドラフト1位での入団で、そこそこ活躍していたはずだ。上茶谷が現役ドラフトに出されるのも意外だったが、ホークスに決まったことはとても嬉しい。おそらく石川柊太は他球団に移籍するだろうし、その穴を埋める選手としてはこれ以上のない選手のような気がする。明るい性格の選手のようで、同じ東洋大の甲斐野が西武に移籍してからは海野が盛り上げ役を一人で担ってきた印象があるので、上茶谷も入ってくれるとチームは明るくなるだろう。期待したい。
2024/12/11
朝一で石川柊太がロッテ移籍のニュース。ホークスに残ることはほぼないとは思っていなかったが、移籍が決定となるとやはり寂しくなる。しかし同一リーグ、しかも本拠地と相性のいいロッテへの移籍となると、対戦相手として苦しめられそうだ。それでも来季以降も対戦相手として石川柊太の活躍が見られるだろうことは嬉しい。
ホークスは今年もたくさん選手が退団した。育成を多く抱えているだけに枠を空けなければならず、また吉田賢吾のように同じポジションに有力選手が多くいたために現役ドラフトに出されたりと仕方のないこともあるのだろうが、ホークスTVではあるけれど2軍戦もできる限りで観戦してきた中で、ずっと活躍を見守ってきた選手達がいなくなるのは寂しい、という一言に尽きる。他球団へ移籍が決まった選手たちは引き続き応援することができるが、まだ行き先が決まっていない選手もいる。地元の球団はホークスしかなく、ホークスを応援する以外の球団を応援する気は全くないが、ホークスを応援することは選手の入れ替わりが激しいことを受け入れなければならない、推しの選手というのを作りにくいということなんだろう。すぐに移籍なり退団してしまうから。
とは言っても、推しの選手はいた方が楽しい。ピッチャーであれば大関、大野稼頭央、野手であれば川瀬、佐藤航太、笹川吉康。外国人選手はモイネロ。まだ甲斐がどうなるかもわからないし、トレードなどもあるかもしれないが、ストーブリーグは一旦落ち着いたと考えて、来年のことを楽しみにしていこうと思う。
12月もいつの間にか11日を経過。途中体調を崩したりもあったからかもしれないが、10日以上も経ったような実感がない。時間が経つのが早すぎる。
日本の小説は阿部和重を読んで終わるだろう。海外の小説は何を読もう。ピンチョンか、フォークナーか。久しぶりにカラマーゾフの兄弟を読み返したくもある。昨日、積ん読にしていた群像で乗代雄介の「二四五」を読んで素晴らしく、また「一七八より」から読み返したくもなった。悩んでいる時間はそうないが、どうしようかなぁ。
2024/12/12
2ヶ月前に行きつけの整体が移転となり、痛みを抱える体が行き場をなくして、その後近所の整体を探し続けていた。我が家の近所には整体の数自体は多いが、なかなかしっくりとくるところが見つからない。今まで通っていたのは個人でやっていたところだったので予約は必須だったが、その分待つ必要はなかった。できれば、同じように予約して待つ必要がないところがいい。以前待つところに通っていたことがあったが、整体で待つところは30分くらいはザラで、待つ時間がもったいないと感じてしまうのだ。整体だから読んでいるときの姿勢を見られているようで、そうあるべきなんだろうが、背筋をしゃんとして読まないといけない気持ちになるのも億劫だ。
新しい整体を見つけたのが先日中旬のことだった。個人でやってるらしく、予約制。しかも値段が安い。30分でも1,500円程度。隣町の駅近で、徒歩だと20分くらい。
整体は相性があるので予約して恐る恐る行ってみると、これまでで一番満足度の高い整体だった。肩や腰の痛みに対するケアはもちろんのこと、耳鳴りについても悩んでいると相談するとツボを押して治癒してくれた。実際、治療が終わったあとは耳鳴りが軽くなった。鍼で耳鳴りが軽くなったことはあったが、整体で耳鳴りが緩和したのは初めてのことだった。治療を終えたあとは感動すら覚え、通うことを決めた。
とは言え、なかなか通う時間を見つけるのは難しい。昨日、およそ1ヶ月ぶりに整体へ行くことができた。年内最後になるかもしれず、全体的に凝りと耳鳴りが酷かったので60分。
昨日体を触ってもらいながら自分でも気づいたことだが、体の左側が右側と比べて張りが強い。耳鳴りも左側の方がひどいため、左側に張りが強いことから発生しているのではないかということだった。特に自覚はないのだが、足を組む時に右側を上にすることが多かったり(そもそも組まない方がいいのだけれど)、寝る時にも左側を下にすることが多かったりが影響しているのだろう。無意識の癖によるもの思われ、はっきりとしたことはわからない。いずれにしても、体のバランスが極端に悪いということだ。
また書くだけで終わって実際にはやらないかもしれないが、ヨガやピラティスなどをした方がいいのだろうと思う。太陽礼拝だけであれば10分もあればできる。自宅に帰って、ご飯を食べる前にちゃちゃっとすればいい。普段の姿勢も悪いだろうから、ピラティスだけでなくヒートもして筋肉も鍛えた方がいいだろう。やらなければ、さらに悪くなることは目に見えている。放っておいてよくなるものではない。とりあえず、今日ヨガをして、明日から継続できるか。
2024/12/13
仕事が終わって帰るとき舞鶴公園を歩いていると、ライトアップされているのがとても綺麗で、仕事の疲れを忘れて見入ってしまう。音に合わせて光が動いたり色が変化するのだが、鴻臚館前入り口すぐのライトアップに合わせて流れている音が坂本龍一の「hibari」で、音のメロディとリフレインが青い光とよく合っている。坂本龍一の音は自然の中に溶け込むというのか、音楽が自然を邪魔することなくただそこにある状態で、そういった外の環境でも坂本龍一の音楽は調和するものだと改めて感じる。ライトアップはクリスマスあたりまでだろうか。最近はライトアップがあることもあって歩くのが一層楽しい。
明日、娘は幼稚園の聖劇の発表会。マリア様を演じるらしく、家でもずっと練習している。毎年マリア様役は注目を集めるらしいのだが、先生たちの間で、どうも娘のマリア様役は一味違う、娘のオリジナリティがとても強いから要注目だと言われているらしい。どういう風にオリジナリティが強いのか、ダンスをしているから表現力があるということなのか、所作が独特なのか、それは明日にならないとわからない。もしかしたら面白い類のものかもしれない。娘はとにかく一所懸命で、だからこそそれがおかしみのあるものになることはあり得る。それは感動を凌駕することがあるから、明日は笑わないように気をつけないといけない。僕のツボには入らなくても妻のツボに入って誘われて笑うパターンもある。
とにかく明日は楽しみだ。そして幼稚園に行ける残り数少ない機会にもなる。園の建物に入るのは卒園式を除けば明日が最後になるかもしれない。
娘、がんばれ。
2024/12/14
娘の聖劇。15時開演だが、14時開門、14時半開場とライブのようなスケジュールだった。例年ではいい場所で見るために開門前にたくさんの人が並ぶらしいと聞き、気持ち早めではあるが、13時50分くらいに着いた。前で観るためにもっと早く行きたい気持ちもあったが、待ちくたびれて演技に影響があってもいけない。しかし、門の前に行ってみると、同じタイミングで娘の友人家族が着いたが、並んでいる人は1人もいなかった。数分後にみんな並び始めたけれど、僕らが一番前で、だから良い場所で観られることは決定だった。
それから開場まで外で待つことになったのだけれど、今日の福岡はとても寒かった。おまけに綺麗めの格好をしなければならず、寒さを考慮した格好ではなかった。が、昼間はまだマシで、着ていた服でもさほど寒さを感じることはなかったが、やはりしばらくすると身体全体が冷えてしまった。会場に入ると暖かく、上着を脱いでも十分であったが、薄着で演技をする子どもたちが少し心配ではあった。
ライブとは異なり、定刻通りに始まった。まずは園長先生などからご挨拶があり、園児たちがこの日のためにどれほどの準備をして、楽しみにしているか、園児たちからのプレゼントと思って楽しんでほしいと言われた。
娘の年長クラスは例年よりも園児が少なく、そのために二役しないといけない園児もいるそうだった。娘はお告げのマリア役。マリア役は2人いて、お告げ役と、旅立ちのマリア。お告げ役はイエスを産む前、旅立ちのマリアはイエスを産んだあとを担当するということだった。娘の出番は前半で、その後旅立ちのマリアと交代する。娘の出番は始まってすぐだった。
家で練習していたように歌って、そして演技していた。ただ、アドリブなのか知らないが、聞いていなかったファニーな動きをして、それにびっくりしたのと可愛らしかったのと突然おかしかい動きが襲ってきたのでツボにハマりそうになった。息を一気に吐いて何とか堪えた。
娘の演技は家で練習していた通りにできていた。
それは当然のことかもしれないが、ダンスやピアノの発表会での表情とは全く違っていた。より巣の表情が出ていたし、目が合う回数も多かったように思う。どっちがどうとかはないが、立派に出番を終えたことは素晴らしいことだ。
上述したように年長のクラスは人数が少ないから、顔を覚えている子どもや直接言葉を交わしたことのある子どももたくさんいる。みんなではないけれど、年少小から一緒の子たちもいて、その子たちは4年間の成長を見てきたことになる。娘だけでなく、1人1人の演技がとても良かった。いつもとは違った表情を見せた子や、その演技に驚かされた子もいた。
いい聖劇だった。
終わり、家に着いたのが17時。少しだけゆっくりして、体が冷えていたのでめんちゃんこ亭へ。体が温まり、美味かった。
2024/12/15
昨夜妻と話していたのだけれど、聖劇での印象がダンスやピアノの発表会のときと違ったのは、聖劇では娘の素が割と出ていた。もっともそれは娘に限ったことではなく、園児の8割以上が出ているように見えたから娘が特別そうだというわけではないだけれど、ダンスやピアノの発表会では素が出ていると感じたことはなかった。その要因の一つはダンス/ピアノではそれぞれの先生が口酸っぱく言っているからだろうと妻は言っていたが、それだけでなくダンス/ピアノと演技の違いがあるのかもしれない。ダンス/ピアノの方が音に預けやすい、体は音に従う、音への反応で没入ができる、一方で演技では音がない中で自ら動く必要がある、空間に身がさらされる、そこで素が出てしまうということがあるのかもしれない。
ある男の子は幕が開けて1人で出てきたのだけれど、そのとき素の表情で笑みを浮かべていたのだが、観客がみんな真剣な顔で舞台を見ていたことを悟ったのか1秒も経たずに表情がなくなり、まさに一人そこに無防備にさらされるような形となった。それでも数ヶ月の練習があったからだろう、すぐに演技を始め、自分の出番をやり遂げたのだけれど、出番が終わってからもその空気に納得ができないのか自分の演技に納得できなかったのか、ずっと首をかしげていた。立派に演技をする男の子でも、目だけがキョロキョロと動いていたりと、素の出方も様々だった。その素の出方が、幼稚園での3年間ないしは4年間を思い起こされる、それは僕が彼らを数年前から知っているからということもあるだろうが、素と演技の狭間に置かれながらも演技を続けようとする彼らの姿に胸を打たれた。
今回の演技は録画され、Blu-rayとして販売されるからまた観る機会はある。しかしそのBlu-rayを最初に観るときにはさらに卒園の時期に近づいているはずで、数年間の幼稚園生活も終わろうとしている。
阿部和重の神町トリロジーも間もなく読み終える。その間に「キャプテンサンダーボルト」も読んだ。神町トリロジーの文体は「アメリカの夜」とは全く異なっていて、歯切れがよくとても読みやすく、ぐいぐいと読み進められる。もっと味わいながら読んでもよかったのだろうが、物語に没入して読み止めることができなかった。ずっと面白かった。
神町トリロジーを読んでいる間は、なぜかずっとカニエ・ウェストを聴いていたのだが、小説のテンポ感とずっとマッチしていたからだろうか。すっかりカニエ・ウェストにハマってしまった。