地方で駆け出しベビーシッター。
私は福島県第一号で、キッズラインとキズナシッターのベビーシッター登録者でした。
その時の苦労から嬉しかったことまで、ざっと思いつく限り書いてみるので、もし地方でベビーシッターに挑戦したい!と思う方にとって、少しでも参考になればいいなと思います。
子どもに係わる仕事で自分らしく働ける場所ってないかな~とPCをポチポチしていたら、ぱっと目についた”ベビーシッター”という仕事。
「これだ!!!!」
そう思ったことを今でも覚えているし、この時の自分に感謝。
2018年4月にキッズラインでzoom面接、東京の実務試験を終えて、無事にベビーシッターとしてデビュー。なんと福島県第一号。その後、キズナシッターでも面接を終えて、こちらも福島県第一号。
ここまではトントン拍子(それぞれの面接の様子も後日記載するね)。
強いて不安要素があるとすれば、「利用登録者(保護者)が関東に比べて少ない」と言われたこと。能天気な私は、”まぁ大丈夫っしょ”と得意のポジティブさで数日を過ごし、第一号嬉しいな~~なんて浮かれていました。
しかし、喜びも束の間。嫌な予想が的中。
お仕事ほぼ0の毎日。『お仕事ですよ』の通知すら来ず、あれ?登録して終わる感じ?という、割とお先真っ暗状態。
お仕事0ってことは、収入=0ってことだからね…
この時から、個人事業主という自分に課された責任を感じる日々との戦いが始まったわけです。自分なりに考え、知恵を振り絞らねば仕事は獲得できんぞ!と言われているようでした。
無我夢中で突っ走った2018年5~7月。
人生初の営業という業務も行うようになり、そのお陰で福島での横のつながりが増えてきた。
今までと仕事環境が異なりすぎて、頭はパンクするし生理前は不安定黄金期になるし、きゃ~~大変!!と感じる一方で、ちょっと楽しいかも…と思い始めた開拓時代。
やるもやらないも自分次第なので、チャレンジして進んでいくのが好きな私は、結構この働き方合ってるかも!と気付く大事な時期でした。
しかしその一方でちょっと辛く感じていたのは、福島にベビーシッター文化が全くないので、嫌がられる&怪しがられる。ベビーシッターなんているの?!と驚かれる、ということ。
でも、それって当たり前で、地方には保育園、幼稚園、託児所に預ける方法しかない、預け先は自分たち夫婦の両親などのイメージが根強い。
福島で活動し始めて、まさかこれが最初の難関だとは思いもせず…完全なる下調べ不足&勢いで始めたことを少し後悔。しかも、何かアクションを起こさなければ日常は動かない…
今までのように、どこかに行ったら子どもたちが来る、仕事がある、スキルが活かせるというわけじゃないのがフリーランスなんだと知りました。
最初は、会社勤めをやめて正解だった??と何度も自問自答。
それでも、私が追求したかった仕事のスタイルや理想の生活に1歩、いや、半歩でも近づきたい。その思いだけで動き、怒涛のように日々が過ぎていきました。
そして日々小さい積み重ねだったけど諦めずに、営業・現場・副業など…頑張ってきたことで、着実にお仕事が増えて、個人で業務提携シッターや美容託児のお仕事ができるようにまでなりました。
やるか、やらないかは自分次第。責任も全部自分。
身を引き締めてお仕事をすることはもちろん、今まで以上に子どもやご家族と向き合っていこう。自分の故郷でそう思える貴重な体験ができたことは、私の人生の中で大きな第一歩。
横の繋がりにも本当に恵まれて、周りに支えられているな、と感謝することが以前よりも増えました。もちろん、今までも恵まれた環境でお仕事をさせていただいていたけど、フリーランスになってより自分にしっかりと向き合うようになったので、その部分は強く感じたなぁ。
保育士という職業は人と人をつなぐ仕事。
子どもと係わるだけじゃなく、家庭、地域と係り合って育んでいくもの。
ベビーシッターをするようになって改めてこの仕事のすばらしさ、楽しさを実感できたのは、私の人生で大きな出来事だった。
この働き方をしなければ、今の私はいなかったし、自信を持って今の仕事が好きだといえる自分になれたことが、嬉しい。地方でベビーシッター、思い切ってやってよかった。
続けていれば、諦めずに行動し続けていれば、いつか道が拓けることを実感し、学んだ地方ベビーシッター時代でした。
地方でベビーシッターに挑戦したい方がいたら、私は全力で応援します。
ぜひ、地方のパイオニアになってくださいね。