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【第3回】33歳のおじさんが【ときメモGS-ときめきメモリアル ガールズサイド】で「誉め言葉はいらないから、私に震えて欲しい」と願う物語
🌸女の子になりきれないまま終わる高校1年生
ご無沙汰しております、あおき改めしゅう子です。このブログは33歳のおじさんがときメモGSを初見プレイする事で新しい感情に出会う様子を綴るものです。前回に引き続いて、まずは1年生の終わりの出来事から。
1年生のバレンタインはずっと気になっていた姫条君にチョコを渡した。ホワイトデーにはお返しに翼の形をしたチョーカーを貰ってしまった。嗚呼、これが生まれて初めての男の子からの贈り物。そして1年生の終わり優雅に締めくくるべく、我が物顔でチョーカーを身に着け、遊園地デートへ。順風満帆な学園生活とはまさにこの事。高校1年生の日々はまさしく青春であったと胸を張って言うべく、姫条君をメリーゴーランドへ誘う。
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煌びやかな光の残像が淡い円を描く。私達が一緒に過ごす時間もこんな風に残像を残して、円になっていくのかもしれない。まだ小さいな円だけど、これから二人でゆっくりと大きな…
「あれ~~~、姫条君が全然楽しそうじゃないんですけど~~~~???」
どうやら、メリーゴーランドなんぞというものは、子供向けのもので、年頃の男の子が乗るには、許し難いほど恥ずかしいものであったようだ。自分自身の感覚でいくなら、ジェットコースターや観覧車などという方が、むしろ軟派な乗り物であり、颯爽と風を切り前へ前へと進むこのメリーゴーランドこそが、男心をくすぐる最善の選択だと思ったのだが…。
この私立はばたき学園で、濃密な1年間を過ごしたと思ってはいたものの、結局まだまだ自分の理想像を押し付けているに過ぎなかったようだ。
女心は難しいとはよく言ったものだが、
否、
男心こそ難しい。マジで。
人間は往々にして現実よりも、その現実に絡まる空想を見つめてしまう習性がある。そこに恋愛感情が相乗りすれば、その空想すらぼやけてくる始末。
自分の妄想と向き合うのではなく、人と向き合う。『もののけ姫』のアシタカさんも言っていた。曇りなき眼で全てを見定めると。
曇りなき眼で見定めた結果、今度は鈴鹿をデートに誘い、ふてぶてしくも姫条君に貰ったチョーカーをつけていくのである。そういえばアシタカさんも、村を出る時に貰った小刀を…(以下略)。
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🌸褒めて欲しかったんじゃなくて、私に震えて欲しかった
2年生に進級してから、修学旅行までの約半年間で、私は鈴鹿との距離をかなり縮めた。いつ電話を掛けても、忙しいから早く要件を言えとうるさかったあいつが、今では声色から嬉しそうな様子が伝わってくる。そう、私はすでに面白い女として認定されていた。
そして待ち合わせの場所に行くと必ず、
「お、あおきも今きたところか、俺たち気が合うなぁ」と照れながら言ってくる。
気が合うも何も、場所も時間も合意の上で待ち合わせしているという圧倒的な事実。
もしかしてサイゼリヤにて、お互いたまたまミラノ風ドリアを頼もうものなら、気が合いすぎて結婚を申し込まれかねない。なんていうか、そのレベルで気が合うハードルが低い。低すぎるよ、鈴鹿。
さらに追い打ちを掛けるように服もめちゃくちゃに褒めてくれる。顔を赤らませながら目つきもトロンとしちゃってさ……。褒めてくれるのは嬉しいけど、同じくらいちょっと怖くなる。
ああ、そうか私って褒めて貰うにしても、そこに至るまでの文脈を気にしてしまうんだ。
「かわいい」と言われても素直に喜べず、「何でかわいいと思ったか」が気になってしまう、【面倒くさい女】だったということか…。
しかし面倒くさい女代表として、1つだけ物申したいことがある。女性に対して、とりあえず褒めとけば良いというハウツーが氾濫し過ぎではないだろうか?
現実世界においても、やたらと安直に女性を褒める同世代のおじさんを見ているとやるせない気持ちになってくる。通勤時間中にホストの名言切り抜きのショート動画でも見てきたことがバレバレである。「気安く触らないでください」と同じくらいの頻度で「気安く褒めないでください」という言葉は使われても然るべきである。
確かに女の子の変化や努力に気づくことは大事なことではあるが、「褒める」をコピー&ペーストのショートカットキーのように連発してはいけない。
何事にも「理由」を欲しがるのは我ながら我儘な行為だとは思いつつも、このモヤモヤとした気持ちを持て余した私は、何とか絵を描くことで昇華できないかと考えた。1年生の文化祭では吹奏楽部として活躍したものの、すぐに強制退部となった為、私は現在美術部に所属している。
今年の文化祭では、この感情を絵にぶつけてみよう。どんなに下手くそでもいい。でも、自分の心くらいは動かせる絵を。私は描いた。ひたすら描いた。油彩画だか、水彩画だか、水墨画だか、よく分からないまま描きまくった。
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文化祭当日、鈴鹿が美術部の展示エリアに現れる。じっと私の描いた絵を見つめる鈴鹿。そんな鈴鹿を見つめる私。その時間は永遠に思えた。
「…なんかお前の絵、見ててホッとするっていうか、ずっと見ていたくなるよ」
それは褒めようとして出してくれた言葉じゃなかった。率直で素直で、そこにあるのが当たり前ような、かけがえのない言葉だった。
私は褒められたかったんじゃない、私に震えて欲しかったんだ。
今なら鈴鹿の目を真っ直ぐに見返せる。心が震えた時にポロリとでる言葉は、爽やかで力強い風となって私の心の凪にも大きな波紋を広げる。
それと同時に、私も鈴鹿のことをもっと知りたいと思った。私の心も震わせてほしい。鈴鹿の一番好きなことで。
焦げ付くような匂いさえしてくる鋭いバッシュの音。ボールが叩きつけられるリズムは自然と私の鼓動に重なって…。
私、体育館に行かなくちゃ…!!
…と思ったが、去年の夏にブチ切れて自らバスケットボールを退部したことを思い出す。この熱血バスケ馬鹿に対して、バスケからのアプローチが一切できない自分の浅はかさに心が震えた。
残りの学園生活、私は何をみて心を震わすのだろう。
弟「姉ちゃんさぁ…最近誰かに冷たくしてない…?」
早速、冷や汗を伴って震えてきた。震えすぎるあまりに机から落ちてしまった折り畳み式の携帯電話の映像が頭をよぎる。そうして高校2年生の冬が訪れた。