タイトルが思いつかない
整理がつかないままに帰りの飛行機。
だけど整理は必要ないのかも。
意味づけする事も。
「何を感じたかが全て」の時間だったように
今は感じてる。
顔を観た途端にお互いに涙が止まらなくなった。
「よーきたね」
「嬉しくて涙が出る」
「ありがとう」ってたくさん言ってくれた。
それが全て。
心で通じるってこういうことだと思った。
私のことはわかるようなわからないような
誰か違う人だと思って褒めてくれたり
時々喝を入れられたりしたのだけど
全く悲しくなかった。
それよりも、隣に居て会話してる事が大切だった。
楽しそうにずっと色んな話しをしてくれる事が
嬉しかったし。一緒にお酒も飲んだ。
私が10人分の人の役割を担えて
会話が弾むなら、それでいいじゃんって
心から思った。
これってある側面から見たら無責任なのかな。
わからない。
綺麗事では生活は共にできない。
だからやっぱり多くの人の関わりが
とても必要だということを
心から心から痛感した。
私達は未来を見て目標設定をしたり
未来に向けて過ごす事も多くあるけれど、
過去に生きて、「今」を生み出す感覚は
とっても尊いし、人生を肯定することにもつながるんじゃないのかな。
思い出や記憶が
どれだけ今の自分の助けになっているんだろう。
そして
「今」が不安定であることに
どれだけ怖さを感じるのだろうか。
なんとも言いようのない宙に浮いた感情と
漠然とした不安。
計り知れないね。
少しでも、感じ取れるとしたら
めまぐるしく変化する表情から、かな。
生きるってことは
答えのない道を選択し続けることかもしれない。
「正解にすれば良いんだよ」って言葉も良く聞くけど
時には「もっと、他のやり方があるな」って潔く認める事も大事じゃないかな。
後悔があるとすれば
いつも自分自身に対して。
後悔なく生きる事も
目指さなくてもいいんじゃないだろうか、
なんて、今は感じてる。
精一杯できる事をしても
それでも、後悔ってあるものだと思うから。
次があるのならば、もう2度と同じ後悔はしない。
写真のお花は
通る度に「綺麗だね」と会話したお花。
一瞬一瞬を新鮮に生きてる。
色んな感情を抱えて
そして空の上にいくつかは置いて
帰ろう。