墓の役割
祖母が亡くなり早一ヶ月。
納骨をしてきた。
大腿骨骨折からの入院、最終的に老衰という亡くなり方ではあったが、
祖母は立派に天寿を全うしたと私は思っている。
心残りといえば、
生まれ故郷にもう一度、連れて行ってあげられなかったこと。
それでも、10年前ではあるが一度は連れて行けたので、
絶対的な後悔ではない。
強風の中、石材屋さんに墓石を開けていただき、真新しい骨壷を納める。
墓の中には先客が4名。
2名は私の記憶の中にもしっかりとある人。
もう2名は残念ながら直接会うことはできなかった人。
4人は祖母から見て、夫と子どもたち。
こんな風に、また家族が一緒にいられることになったんだなと、
妙だけれど少し安心したような気持ちになった。
というのも、祖母が亡くなり考えていた以上に私は喪失感を味わった。
それでも、葬儀が済むまでは肉体が実際に存在していることで
まだ大丈夫、まだここにいるという謎の安心感があったが、
火葬されると二度目の喪失感を味わった。
年齢の割にはしっかりとした綺麗な骨を親族が順番に拾う。
私も浅い呼吸で、どこかの骨を一本拾った。
骨壷に納めると、今度はお骨が祖母の実体となり
大丈夫、まだここにいる、という妙な安心感が蘇った。
そして、納骨。
いよいよ本当にお別れの時が来た。
もう祖母はいない、祖母のかけらでさえ手放さなければならない時が来たと
三度目の喪失感を味わっていた。
しかし、お墓の中に並んだ骨壺を見た時、
私は、あぁ、祖母はここにいる、お墓というこの場所に家族といるんだと、
ようやく祖母の死を受け入れる準備ができたと感じた。
これまで、身近な人が亡くなる経験をしたことがなかったから、
お墓参りはレジャー感覚でしかなかった。
別に家に仏壇があるんだし、お墓はなくてもいいんじゃない?
そんなふうにも思っていた。
確かに、お墓はなくてもいいのかもしれない。
でも、今回のことでお墓にもちゃんと役割が
あることを実感した。
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