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孤独の唄

人は孤独である。
誰かと繋がっているように見えて本質は孤独。

そして誰かと考えを共通して持っているように見えて実は合わせていたりする。

過去の自分が時間を費やしたことに対して信仰のように崇め
あたかもしれが正しいように感じる。

しかもその時間を共有した同志がいれば、過去を振り返って自分が一番よかった時期を思い返して自分は間違っていないと言い聞かせる。

でもそれは誤魔化しでしかない。
繰り返しである。

恩返しという言葉があるが、それは体のいい言い訳にすぎない。
世間体がいいし、ちょうど自分の思考を停止させられるいい道具だ。

本来の自分が小さい頃から持っていた性質とこの世での処世の中で身につけたとこがらは相反する場合がある。

後者に従って生きると苦しい。
できること、やってきたことの延長線上に自分の命の場所を定めると首を絞められる。

でも多くの人が後者じゃないか。

できてきたこと。
積み上げてきたもので自我を作っていく。

僕はこれができたからこれができる人間だったんだって。
でもそれは単なる偶然。

たまたまそれをしてきたからにすぎない。
もしかしたら別の事象でもうまくできたかもしれない。

もしくはでつに人の方がうまくできるかもしれない。
ただ偶然の事象、それによって人生を文字通り流される人類がいる。
多数。

だから物事をやるときにじっくりと考えてほしい。

その時の方向性の決め方、大事。
本当に自分の本心と話をして、方向性を定める。

その時、未来っていうのはどうなるかわからない。
できることだけで考えると決まりきった現状の未来になる。
それは未来じゃなくて現状の延長線上。

だから面白くないできることの増大にしかならない。
できることって自分の役目とか責任とか達成感があって社会に貢献できていいて世間体としては成り立つ。
だから、悪くないなと感じる。

これってまあまあの人生に沼ってる状態。

だから未来と決める時。
僕らは本当の孤独に陥るべきだ。

孤独は怖い。
でもそこに真摯に立ち向かうべきだ。

それが幸福と超幸福との分かれ道だと思って。

できることじゃない。
本心の自分がやりたいと思っていることを、心を剥ぎ取って覗きにいくんだ。

そこには見栄とか社会とか権威とか全ての感覚はない。
そこにある永遠の輝きというか真珠のような丸い自我がある。

その自我と対面してよくよく観察するんだ。
そして飛び込む、一体になる。

そいつは何を欲している?
言葉では言い表せない。

日本語で表現できない感覚になる。
それを無理やり言葉にしようと説明するとそれは違うくなる。

だから説明できない。
その感覚に近い言葉選びをするだけだ。

どこか違う。
だから言わなくてもいい。

周囲に伝えることができない。
だから苦しいんだ。

でも飛び込んで対峙すべきだ。
そこにいた自分は何をしたがっている?

そこにいる自分は何をしようと企んでいる?
時空を超えて時間の概念も空間の概念もない。

大人が聞けばアホな生き方だと笑うだろうが。
僕の人生は笑なのだ。

世間の皆々様にはわかるまい。
このお笑い芸人よりも一生をかけたお笑い劇を。

この漫才は、人生が完了して数年経った後に面白さがわかる。
漫才。

俄。

ああ、ここで繋がるんだな。
俄に。

自分の一生は一つの俄のようなものだって。
長い目で見るんだ。

小さい目で見るな。
ああ、面白い。

思考ってこんなにも面白いんだ。
僕の人生は一つの舞台。

しかも時間軸って大いなるもので考えている。
ここで俄に繋がる。

僕が司馬遼太郎さんを好きな理由ってここに繋がるのか。
歴史小説に惹かれるのって、その時間軸の抽象度の高さに惹かれるんだ。

だから僕は抽象度の最上級に行きたいんだ。
だから具象は嫌いなんだな。

でも具象で一個突き抜けないと抽象度は上がらない部分もあるんだよな。
だから30代は具象に突っ走ったってことか。

20代はその具象に入る準備。
でもここの計画段階で僕は運良く抽象思考で具象の目標を立てた。

抽象度が高い状態で決めたんだ。
だから概ね成功している。

そしてこの10年間の具象時代が終わって次の10年計画ってやつに移る。
今がその時だ。

だからじっくりと自分と向き合っているってわけだ。

さあ、次にやることを抽象度高く考えよう。
抽象度の最上級だ。

1000年後の地球の歴史に残る大仕事。
この人生を使って一個の芸術と化す。

僕という人間を物語の中心において、でも僕自身は僕ではなく演じる僕。
僕は飄々と役にのめり込む。

世界を変える。
あっと驚くような人生を、一貫して進める。

僕のこの時間軸で大いなる作品に仕上げる。
この一個の人生物語っていうのは歴史に残る。

だって自分が自分史を作っているから。

自分のこの人生一個を自分で書き上げる。
しかもその清々しさは、人類の生き方に影響を与える。

だから人生を小説よりも奇にして、そして小説にする。
僕が書きたいって思ってる小説って誰かの物語ではなく、自分の物語なんだ。

だから僕が考えたことややってきたことを書き残す必要がある。
それをまとめるんだ。

まとめて出版する。

後世に残す。

源氏物語。
僕の物語。

一個の人間が苦悩しながらも生きた証。
しかも人間のちょうど真ん中をえぐるような言葉たち。
純粋な。

僕の人生を一個の小説にする。

次はどの領域に僕はいる?

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