マルセイユから届いた絵葉書とコートダジュール(紺碧海岸)
以前の同僚、絵里香ちゃん、彼女に関して記憶していることは、彼女がストーカー被害を受けていたことである。
同僚でなくなってから数年経った頃、その彼女から絵葉書が届いた。
「お久しぶりです。今、私はマルセイユを訪れています。少し荒んだ雰囲気の街ですが、私は、いろいろなパブに乗り込んでは現地の荒くれた男達と口論したりしています」
太く大きな字にて書き殴られている葉書を読んだ時、彼女が随分勇ましくなったことを実感した。
横濱にて彼女と一緒の部署にて翻訳業務を行っていた頃、彼女は頻繁に泣いていた。鹿児島出身の彫りの深さに、色白のつややかな肌、社内でも絶世の美女と噂されていた彼女は、毎週のようにストーカー被害に遭っていたからである。長く豊艶な黒髪にデジタルパーマを当てていたため、華やかさはさらに強調されていた。
しかし彼女自身には驕ったところが皆目無く、私とも気が合った。
その彼女から頂いた絵葉書のことを思い出したのは、プロヴァンス地方旅行の四日目、予定していたカシ(Cassis)に向かう時であった。
途中、何度も出現する道路標識がある。そこには大きな文字で「マルセイユ」と印刷されている。
マルセイユは、フランスにて治安が一番悪いという噂を聞いていたので、訪問は控えることにしていた。
マルセイユ、港町、漁港、荒くれた海の男たち、浪漫を感じることはない、と言えば嘘になる。また、マルセイユでは日本食材の店に立ち寄り、梅酒を購入したかったのであるが、その店は「特に治安の悪いところにある」、とネットに説明されていたため諦めた。
しかし、マルセイユに近付くとともに、恵梨香ちゃんの幻影が強く語りかけて来るかのように感じられて来た。
「やっぱり寄ろうか、マルセイユに。せっかく近くまで来てるし」
私が提案すると娘も同意した。
マルセイユ(Marseille)
治安に関しては多少緊張しながらも、車を波止場近くの地下駐車場に停め、私達は港を臨める小高い丘まで歩いて行った。
おそらく、絵里香ちゃんもここからこの景観を臨んでいたのだ。
デジタルカメラか何かで写真を撮っていたのであろうか。
彼女が乗り込んで行ったというバーはどこにあるのであろう。絵葉書を受け取った時は、港付近に所在するバーに座っている彼女を想像していたが、そのバーはまだ残っているのだろうか。
なにせ二十年も前の話である。
彼女も、私の筆不精により連絡が途切れてしまった友人の一人である。
気の遠くなるほど昔のことではあるが、追憶の中の彼女は、まだデジタルパーマの掛かった長髪を指に絡め、憂鬱そうな表情で座っていた。
娘と私は小高い丘から、時おりそよぐ風を感じながら、しばしの間、波止場を見下ろしていた。
昔の同僚との追憶と余韻をマルセイユの港に残して、私達は次の目的地へと向かった。
カシ(Cassis)
紺碧の入り江と白壁絶壁で有名なカシ(Cassis)国立公園である。
娘は高校時代に、プロヴァンス地方にて語学研修をしていたと言う。彼女が言及するまで、私の記憶からはその件は完全に抜け落ちていた。
カシにはその時に訪れたそうである。
というわけで、私は彼女を全面的に信頼して、そのあとを付いてゆくことにした。
この町も、他と違わず、駐車場の料金は高額に感じられた。私達は何件か廻ってみたが、いずれもほぼ同料金であったため観念し、急勾配の坂に位置する駐車場に車を停めた。
その後、街の中心、波止場近くまで降りて行った。
昼食をこの辺りにて取る予定であった。レストランを何軒か廻りメニューを吟味してみたが、この町もベジタリアンの娘にとっては難易度の高いところであった。
知人と一緒に旅行をする際に、苦労をする点の一つが食事処選びであろう。それが原因で旅行友達と不仲になる例もあると聞く。
私達の場合、ベジタリアンと肉好きが妥協出来るレストランを探すことは想像以上に難しかった。
それでも、港のほぼ中心のところにてレストランを見つけた。
珍しく野菜だけのサラダがあったため、娘は満足していた。今まで彼女は、サーモンサラダを注文して、サーモンを残す、というような不条理を強いられていた。
私は通常通りステーキさんを注文したが、味は可もなく不可もなく、というところであろうか。こちらではステーキさんにベアネーズソースが掛かっていることが多いが、そのソースに香味をつけるタラゴンが苦手な人間が居る可能性も考慮して頂きたいものである。
日本円もスウェーデンクローナも弱いため、価格を換算するのも憚られて来たが、前菜とメインにて日本円に換算して4500円程度、プラスドリンクと心付けである。もはや、必要経費と割り切るしかない。
体力を付けたところで、私は娘の背中を追いながらクランク(入り江)というところまで歩いて行くことにした。港からはクランクまでの案内表示が出ている。
急勾配を上って下りて、再度上って下りて、上って下りて、ようやくクランクというところに辿り着いた。急勾配の場所では辛かったので写真を撮っていない。以下の写真は中心街の近く。
四月中旬にしては、非常に暑い日であった。
旅行に出掛ける時の私の服装は、コート/ジャケット、ワンピース、タンクトップという重ね着が基本である。
しかし、今回は炎天下にて急勾配を上り下りしたため、汗だくになった。結果、ワンピースまで脱いでタンクトップとスパッツという、欧米女性のような井出達で歩いていた。その時に限ってあまり水を持ち歩いていなかったことを後悔した。
そこまで苦労して辿り着いた有名はクランクは果して…。
確かに白壁絶壁という表現に語弊はないが。
この景観が有名なのか、と娘に確認してみるも、何せ、高校時代に引率されて見学をしたので、正確にはどこを訪れたのかは定かではない、と言う。
観光案内の看板はあった。
通常は達成できない運動量を要してようやく辿り着いたため、なおさら不発感が拭え得なかった。息を呑むような絶景を拝みたければ、陸路ではなく海側からアプローチすべきなのかもしれない。下調べを周到にしてゆくべきであった。次にご期待(次があれば)。
ふたたび急勾配を上り下がり上り下がり、駐車場に戻った。料金は4時間程度の滞在にて1300円程度であったと記憶している。
バンドル(Bandol)
そのあと、この日最後の目的地、バンドルへ向かった。
娘の一人が、昨年この町にてひと夏を過ごした。それがここを訪れた唯一の理由である。
ここでは、観光と言われるような観光はしなかった、と娘は言っていた。
ここにも、地中海があった。
カフェ、レストラン、お土産屋が立ち並ぶ海岸通りもあった。
海岸通りの至るところに公開アートが建てられていた。
同じコードダジュールでも、車で通り抜けただけのカンヌよりも落ち着きがある町のように感じられた。
娘はこの町で何をしていたのであろうか。
お気に入りのカフェなど見つけたのであろうか。
恵梨香ちゃんが単身で乗り込んで行ったマルセイユ、
一緒に旅行した娘が高校の研修で訪れたカシ、
娘の一人が昨年の夏を過ごしたバンドル、
家族、あるいは知人の訪れた町を訪ねて、彼女たちの足跡を追ってみることは感慨深い。好きな映画のロケ地を訪ねる心境と似ている。
同様にNoterさんたちの旅行記を拝読拝観させて頂くことも楽しい。それがたとえ大昔の旅行記であっても興味深い。
今回もお付き合い下さい有難う御座いました。
しばらく更新をしておりませんので、皆様のところを訪問させて頂くと恐縮して下さる方もいらっしゃいますが、どうぞお気を遣わないでくださいね。
こちらも暑くなりましたが、おそらく日本の比ではないでしょうね。どうぞ皆様、今年もなんとか猛暑を凌ぎ切って下さいね。こちらでは、道端でさえ、老若男女すっぽんぽんの人達を見掛けるので多少辟易しておりますが。
次回は最終記事となる予定ですが、プロヴァンス地方のワイナリーを兼ねたギャラリー、セザンヌ氏の家の庭、ニースの空港付近のお勧めホテルとレストラン等のご紹介をさせて頂こうと思って居ります。
今回の記事の前日の記録はこちらです。