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忘れがたいロケ、橋の下のニューヨーク

  ストックホルムが厳寒に包まれたある日、ある無法地帯で、私は次女の手を引いて、その日まではまったく面識の無かった日本人の男性と手をつなぎ歩いていた。

 次女の小さい手は凍えついていた。

 私達のすぐ背後を、かなり年配の日本人男性が緩慢に付いて来ていた。 この方にも面識は無かった。

 「こんな怖い所やだよ。ディズニーランドに行きたいよ」

 と次女が請うた。それが彼女のアドリブであった。

 あいにく、私と、私の手を握りしめていた、すなわち夫役の男性にはセリフはなかった。主役は私達の後ろを歩いていた年配の日本人男性(義父役)であった。

  すなわち、それはロケの一シーンであったのだ。

  この時のロケは、グローバルな語学学校のコマーシャルであったと記憶する。世界のコマーシャルコンクールへ参加するための撮影であったと思う。詳細は聞かされていない。

 舞台はニューヨークという設定であったが、何故、わざわざストックホルムにて撮影したのか理由も定かでない。アドリブとはいえ、ロスアンジェルスにあるディズニーランドにも言及している。すべてがハチャメチャに思えた。

 しかし、あまりに辻褄を合わせすぎると何も創造出来なくなってしまうのかもしれない。


 その日のロケは私のようなド素人女優にとっては大掛かりなものであった。

 遥々ニューヨークから十数人の米国人俳優たちが来瑞した。主役の義父役もアメリカ在住の日系人であった。

 

 あらすじは以下である。


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 私達、おのぼり日本人家族はニューヨークに旅行に来たが途中で迷ってしまい、何故か橋の下の無法地帯に入りこんでしまう。

 そこでたむろしていた若い不良グループのリーダーが私達に近付き、いちゃもんを付けてきたか、金を無心した、という流れであった。

 その動画は頂いていないため、不良グループのリーダー正確にはなんと言ったかは失念したが、

「こんなところをうろついていないで、チキンラーメンでも食ってろ!」、と言うようなセリフであったと記憶する。

 

 しかし、絡まれて私達夫婦役が恐れおののいているところに救世主が出現する。

 その救世主とは、私たちの背後にいた年配の義父であった。

 義父は私達を庇うように押しのけ先頭に出て、不良グループのリーダーと真っ向から対抗する。

 どのように対抗したかというと、罵り言葉をふんだんに混ぜた流暢な英語で彼らの行為を批判するというものであった。


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 英語など皆目理解しない東洋人旅行者が迷い込んで来た、と高を括っていたリーダーは圧倒され呆然とする。

 無法地帯に迷い込んでしまった東洋人家族、あわや身ぐるみ剥がされるか、袋叩きにされるか、という緊張の中、事態は予測しない方向に。

  

 そのリーダーとその仲間が呆然としたのも束の間、彼らは突如としてブレークダンスを始めるのであった。

 彼らは実はニューヨークで活躍しているプロのダンサー達であった。スパイク・リーの映画にも時々出演すると言っていた。

 皆、足並みが美しく揃い圧巻であった。ストーリ全体の流れを最初に知らされてなかった私達が呆然とする番であった。

 

 出演者にはもう一人(一匹)いた。

 ショービジネス用に鍛えられたネズミであった。

 何かの小道具で煙を出したところからネズミがチョロチョロと走り出て来る。まさに無法地帯の雰囲気を醸し出すためには効果抜群である。

 ショービジネス世界の小道具は半端ではない。現在ではコンピューター技術で代替できてしまう部分も多いのであろうが、やはり本物とは違うのではないか、と思いたい。

 

 厳寒の中、私達は何度もやり直しをさせられた。

 冬という設定ではなかったため、私達は手袋をはめることを許されず、幼い次女は休憩の際に、撮影スタッフにかじかんだ手を摩っていただいていた。

  何故、何度もやり直しをさせられたのか。


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 年配の義父役がセリフを覚えられなかったからである。長旅でお疲れだったのか、普段、罵り言葉を使ったことが無かったのかもしれない。

 ロケ等で非常に困ったことは、自分の演じるところはOKとなっても共演者にNGが出てしまうと撮影が永久に終わらないことだ。NGが多くなってくると本人はさらに緊張してしまい、NGもさらに多くなってしまうのである。

 他のロケの話になるが、ストックホルムがマイナス10度を記録した日に、コマーシャルの撮影に参加させて頂いたことがある。

 厳寒の中、海岸沿いの撮影で、私はオフィスレディーの軽装であった。共演をした方の一人が10回以上もNGを出され、撮影が非常に長引いた時は、途方に暮れた。

 この義父役の場合もその例に然り。そこでダンサーのリーダー役が義父役の正面でセリフを先に小声で言い、義父役がそれを反復するという苦し紛れの方法を採った。

 このコマーシャル、果たしてコンクールでの位置づけはどうなったのか、それも知らされていない。語学学校の宣伝であったはずなのに罵り言葉のオンパレードであったことは、果たして審査員にどのように評価されたのであろうか。 

  非常に長時間におよび、身体の芯まで冷え切り、疲労困憊したロケであったがそれだけにやりがいもあり、ハチャメチャで愉快でとても印象にも残っている。

 

  スウェーデンに来てから、IT職で生計が立てられるようになるまで、私は(合法的に)出来ることは出来るだけやって日銭を稼いでいた。


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 ショービジネスの仕事は、スウェーデン語がそれほど出来なくとも、資格が無くとも始められたので、私はその中で仕事を探して応募した、あるいは一度出演したところからのコネで仕事を頂いていた。しかしそんな仕事が毎日あるわけでもなく、カメラの前ではどうしても固まってしまうため、オーディションでは頻繁に落選していた。

 当時はド貧であったが、それはそれで変化があって意義深い時期であった。(長時間の)待ち時間における他の人達との交流も楽しく、ロケ弁が美味しい時も(頻繁ではないが)あった。

 

 現在でもオファーを頂いた場合はいそいそと出掛けては行くが、フルタイムの仕事もあるため比較的短時間の場合だけ出演をさせて頂いている。

 しかし、楽な仕事は、疲労困憊するほど打ち込めるロケほど印象には残らない。


  疑似ニューヨークのロケの場所はまだ温存されている、落書きも残っている。しかし現在は柵が設けられ施錠されていた。迷える者たちのたまり場にもなりそうな場所なので施錠された方が安全なのではあろう。

 

 柵の外に立って、誰も居ない暗闇の中を覗いてみる。

 ストックホルムのこの不思議な空間が、一日だけ疑似ニューヨークになっていた。この中で多くの人間がドラマを演じており、私は次女の小さい手を引いていた。


 私には、そのような厳寒の冬の日がかつて存在していたことが非現実に思えて仕方がない。 


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ご訪問いただき有難うございました。

紹介させていただいた写真はこの橋の下、橋の上からの風景、橋に続く螺旋階段でした。私の記事の写真は、大抵の場合はクリックして頂ければオリジナルのサイズになります。

冒頭の写真のモデルは私でも次女でもありません(念のため)。