38歳で初就職をしたある青年の貢献
大学に通っていた時のクラスメートのホーク(Håk) から、数年ぶりに連絡が来た。非常に高揚した口調であった。
「人生で初めて就職というものをしてみたよ。ITコンサルタントだ。もう貧乏とはオサラバだ。(バイト先の)地下鉄運転士の服も捨てたよ。食事をおごるから金曜日会えないか?」
ホークが38歳の春であった。
正社員の職歴は皆無であり、地下鉄運転士のバイトで生計を立てていた彼が、何故、38歳で突如にITコンサルタントになることが出来たのか、私は興味津々であった。他の業種はともかく、IT業というものは、少なくともスウェーデンにおいては、理論よりも経験がものを言う。
比較的お堅いその学科の生徒の中では、ホークは多少異色であった。腰まで伸びた長い金髪、黒い革ジャン、黒いジーパンに黒いTシャツ、そのシャツには常に、血を流した魔物、あるいは地上から這い上がり始めたゾンビのようなプリントが施されていた。
最初は、この人とはあまり関わらないようにしようと決めていたが、マーフィーの法則というものがあるため、気が付いた時には、クラスで一番仲良くなっていた。彼は日本の大相撲の熱狂的ファンであった。
ある年の冬は、私にとっては何をやっても上手く行かない時期の一つであった。その時、ホークが「俺のところに来るかい?」と誘ってくれた。
相談をしたところで解決出来ることではない、と思った。しかし、ホークであれば、突飛な話と大相撲の話で気を紛らわせてくれるかもしれない、と淡い期待を持ち、郊外に住む彼のところに出掛けた。
「俺のところ」というのは彼のアパートのことだと思い込んでいた私が招き入れられたところは、高校の文系クラブ室のような雰囲気の奇妙な空間であった。
あちらこちらにガラスの飾り棚があり、ミニアチュア模型が飾ってあった。アニメのキャラクターおよび戦士であったと記憶する。ホークが一つ一つ色を塗ったのだそうだ。その部屋には模型塗料独特の匂いが漂っていた。夥しい数のミニチュア模型であった。
使い古された布製ソファには、学生、あるいは失業中の社会人か、というような雰囲気の金髪長髪の青年達が四人座って居た。彼らの注意は正面の大きなスクリーンに向けられていた。
ホークは私を簡単に彼らに紹介した。彼らの反応は、ほぼ皆無であった。スウェーデンにおいては、ホームパーティー等に招待され初対面の人と挨拶すると、大抵の場合、お互いの目を見据えながらしっかりと握手をする(パンデミック以前)。よって、クラブ室における彼らの反応は私にとっては多少、居心地を悪くするものであった。
「どのマリオにする?」
その中の一人が私に尋ねた。彼らが見ていた大型のスクリーンはスーパーマリオのゲームで占められていた。
社会勉強だと思い、大抵のことは経験をしてみようとは心掛けてはいるが、その晩は彼らと一緒になってマリオゲームをする気分ではなかった。
ホークはいつになったらゲームを止めて私の話を聞いてくれるのであろうか、という苛立ちもあった。しかし、クラブ室に私を招いたことは、私の気を紛らわせてくれようとするホークの心遣いであったのかもしれなかった。
一時間経ち、私の心情を察したホークは駅まで送ってくれると言った。
その日はしんしんと雪が降っていた。そのためか駅に続く道に人影は見えず、辺りは閑散としていた。
「貴方の友達、どんな人たちなの?」
「友達と呼べるかはわからないが、俺がクラブを立ち上げてから自然に集まって来た人達だよ。名前も知らないやつもいる。君の横に座っていた人は、もと会社員だったけど、燃え尽き症候群の末、今は精神リハビリ中だ」
「あの人、どのぐらいあそこに来てるの?」
「三年ぐらいかな?」
「三年?心理カウンセリングとかには行かないの?」
「何故だよ、あいつはクラブにいれば仲間もいるし幸せなんだよ。大体、嫌いな奴に頭下げて働くなんて馬鹿らしいだろ。人生は一度なんだから好きなことをして暮らすのが一番幸せなことだよ」
それなら何故、貴方は毎日きちんと大学に来て勉強してるわけ、と、ホークに訊ねたかったが止めた。あとになって考えると、末期癌に罹患していた母親を安心させるためであったのだ思う。
彼とはその後一回、食事をしたが、その後はお互いに接点も無くなり連絡も絶えていた。
再会をするはずの金曜日の夜になった。
彼は相変わらず、ゾンビモチーフのTシャツを着て勤務をしているのであろうか?
彼の勤務先のコンサルタント会社に出向くと、上品な水色のセーターに身を包み、金髪の長髪を輪ゴムで一つに束ねたホークが入り口で私を出迎えた。
「もうゾンビのTシャツは着てないよね、やっぱり」、とコメントをすると彼は自分のセーターを捲り上げた。その下からは血を流した蛇女のモチーフが現れた。
私たちはK25という名のヤッピー系のフードコートにて、観客席のように段差のある客席の一番上段に座り、金曜日の喧騒の中で寿司を買って食べた。
ホークは呂律がまわらなくなるまで日本ビールを飲んでいた。
彼は大学を卒業した後も、仕事を探さず、「好きな事をして生きる」信念を貫こうとしていたらしい。
しかし、地下鉄運転士のバイト代は一か月五万円相当、アパートの家賃だけでも三万円は掛かる。クラブの運営もままなくなり、さすがに貧乏生活には辟易し始めたらしい。
プログラミングは好きであったため、友人の起こした小さい会社で何かの小さいプログラムを作成しそれを実績とした。その小さな実績を持って何軒ものITコンサルト会社を回り、現在のところに雇用されたらしい。
あのクラブが無くなってしまった今、あの空間にやすらぎを求めていた青年達はどこで何をしているのであろうか。
「人生は一度なんだから好きなことして暮らすのが一番幸せなことだよ」と宣言したホークのカリスマ性を頼って集まって来た青年達は、先立つものがなくなりクラブ活動を停止せざるを得なかったホークに失望したであろうか。
日本においては、都会では自分の居場所を見つけにくい人たちが限界集落にて自分の居場所を見つけ、かつ高齢化の進む地域に貢献をしている、という話を聞いた。
以前、地下鉄に乗ろうとしたときに、運転席が開き、その電車を運転していたホークが手招きをした。運転席に乗せてくれるということであった。
地下鉄の運転席に乗り、窓の外を見ると、そこは漆黒の世界であった。果たしてどこに向かっているのか、どこで曲がるのか、どこで止まるべきなのか、私には全く判断は出来なかった。
ホークもそのような先の見えない世界に終止符を打ちたかったのであろうか。
あるいは、将来的には再びあのクラブ室を再開し、居場所のなくなった人々にオアシスを提供するのであろうか。
ご訪問をいただき有難うございました。
紹介させて頂いたサムネイル写真は近所の家庭菜園から、本文中のものはハーガ公園(Hagaparken)からのものでした。
一昨日は二十二度を記録し、半裸の上半身が街に氾濫し、ストックホルムの初夏を感じさせられる日でした(本日は曇天)。