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北欧的結婚&離婚&再婚観 It takes two to tango
帰国したある夏、久しぶりに北陸の知人を訪ねることを思い立った。北陸新幹線が貫通した年のことである。会っておきたい知人は多かった。今度、訪問できるのはいつになるのかはわからない。
金沢の知人を訪ねた時は飛び入りであった。にわかに降り始めた雨の中、微かな記憶を辿って知人の店舗を探し出した時は濡れネズミになっていた。しかし、彼らは私を温かく迎え、隣の洋装店で服を買って来てやろか、とも申し出て下さった。
もう一つの町を訪ねた時は、雲一つない快晴であった。
しかし、そこの知人を訪ねることに関しては母にかたく止められた。その理由の説明も受けたが、私の常識内では理解することは難しかった。
その知人の娘は(婚約までは行ったが)結婚をし損なった、子供もいない。
私は(現在進行形ではないにせよ)結婚も経験し、(一路順風とはほど遠いが)子供も授かった。その私がその知人を訪ねたら、その娘が悲しむので訪問は控えて欲しい、と、母はその知人から嘆願されたという。
やはり理解は不可能であった。せっかくその町に来たものの目的も失い、仕方なく港の近くにて日本海を肴にして淋しく海鮮丼を頂いた。
もう一件、印象に残っていることがある。
日本で勤務していた時の元同僚で結婚をしていない女性がいる。四十路を越えたところであろうか。彼女は結婚をしていないことに依り親戚に白い目で見られ、批判さえされていると聞く。
この傾向に関しては地方と都会において相違があるかどうか調査してはいないが、彼女もその親戚も東京の人間である。そして今は2021年である。
さらに、帰国した時に、最低一度は近所の奥様方から要請を受ける用件ががある。
実家からは東西南北、どちらを向いても独身男性の姿が視界に入る。いずれも(一見)さわやかで優秀な方々である。
近所の奥様方からは彼らに相方を見つけて欲しいと頼まれるのである。この際、スウェーデン女性でも良い、とも言われる。
60年代にはストックホルムのディスコにおいては、日本人男性が結婚相手の対象として人気があったと聞かされた。しかし、その男性群の一部は離婚し、その後日本女性、あるいは他アジア諸国の女性と再婚している。
親としては、息子の老後を心配している、また、孫の顔をみたいのであろう。その心情も理解は出来るが、私は結婚斡旋業者でもないので嘆願されても困るのである。
結婚とはそれほど「しなければいけないもの」なのであろうか。
この現象を理解出来ないのは私が二十年間北欧で暮らし、結婚に関しては、その価値観に染まりつつあるからであろうか。
私の現在の結婚観を簡約させて頂くと大体はこのような感じである。
結婚観
縁と機会があれば一度ぐらい経験しても良いものかもしれない。しかし、たとえ諸々の理由で結婚をしなかったとしても、周りが批判する必要も理由もない。
結婚をした以上はそれをなるべく温存する努力をすべくであり、何年経っても相手への好意と感謝の気持ちを伝えるようにし、細かいところには目を瞑るべき努力をすべきではある。
離婚観
これも一度で充分である。子供を始めとして、泣く人間が多すぎる。実質的なことになるが、離婚手続きも、人によってはかなり拗れる場合もある。日本人のケースではないが、極端な話、IKEAで購入した200円のコップの権利を争っているケースもあった。
本質的なところ(相手の道徳観念等)において共感出来ない場合は早々に、それぞれの道に歩き出すことがベストであるとは思う。その後一人になっても困窮しないために経済的には自立しておくことは必要であろう。
婚約観
これはロマンチックなので何回お受けしても良いと思うが、その結果に責任が持てないと面倒なことになる。
再婚観
再婚は別にしなくても良い。
家のドアを開いたと同時にストッキングをポーンと宙に投げ捨てる生活に慣れてしまうと、気を遣わなければいけないような人と一緒に暮らすことはひたすら苦痛である(床の拭き掃除は毎日している、念のため)。
さらに、誰に気兼ねすることもなく、老若男女問わずいろいろな方とお会いして談話をしたり、旅行を一緒にすることも出来る。まわりからは優雅に思われているらしい。優雅か否かはともかくとして、気楽ではある。
仮に再婚をするとして、再婚条件を掲げさせて頂くとしたら、子供達を実父と同等に愛してくれる男性、ということになる。それは難しい相談であろう。
It takes two to tango.
これは、以前、知合いであった米国加州出身のスライドギタリストが頻繁に口にしていたフレーズであった。スウェーデンにはドラッグを断ち切るために渡って来た、と告白していた。効果のほどはわからない。
このフレーズを直訳をすればタンゴを踊るには二人必要だ、タンゴは一人では踊れないというようなところになるのであろうが、喧嘩両成敗という翻訳が一般的であるようである。
ギタリストは、男女間の関係を語る時に、このフレーズを使っていた。男女間の関係が破綻する場合、口論になる時、非は両方にある、という意味で彼は使用していた。
男女関係が破綻する場合、一方のみに非がある場合が存在することも多々ある。
It takes two to tango.
しかし、男女関係、あるいは友人関係に疑問を感じた時、思い出されて頂きたい一フレーズである。相手に対して優しい気持ちになれることもある。
追記
仲の良い友人の中に日本人の美人外科医と誉の高い女医がいる。しかし、彼女は、海外在住+女医+長身という三拍子が揃っているため、日本に帰国したらモテ度がかなり低下したと嘆いていた。
これも非常に不可解な現象であるがなんとなく納得できる。
私は海外在住ではあるが彼女ほどスペックも身長も高くない。日本では敬遠されないことを祈る。
ご訪問有難うございました。
日本、海外に住んでいらっしゃるかたの価値観も是非、参考にさせて頂きたいものです。
購読をさせて頂いてるそうふさんから、そうふさん自身の結婚観に関して、以下、ご紹介を頂きました。幼少の時から芯のブレのない考えをお持ちのかたです。
冒頭の写真はJoakantさんからお借りしました。
https://pixabay.com/sv/photos/dans-tango-argentino-tango-musik-378219/