父と田植えと塩おにぎり。
わたしには忘れられない味がある。
正確には味が忘れられないというよりは、忘れられない食べ物の記憶。
小学一年生になったばかりの頃、人生で初めて田植え体験に参加した。父親と二人で。妹がまだ小さかったので週末に父と二人で出かけたのだ。
田んぼに入った瞬間に尻もちをつき、泥だらけになった。父は後ろで笑っていた。
スポーツが得意でもなく、自転車の補助輪が取れたのも小学生になってからだった。基本的にどんくさいのかもしれない。
田植えをしていた時間は実際どのくらいだったのかはわからないが、小学生に体験させる程度ならきっと長くて一時間くらいだったのであろう。ただそのときのわたしには永遠に続くような時間だった。
やっと田植えが終わり、近くの小学校の体育館で、塩おにぎりが配られた。そのときの美味しさがわたしには忘れられないのだ。
おにぎりには具が入っている物だと思っていた。お米に塩味をつけただけのもの。それが35歳になった今でも、多分いちばん美味しかった食べ物である。
家に帰り、早速母親に塩おにぎりを作ってほしいと頼んだ。もちろん美味しかったはずなのだが、体育館で食べた味とは違う。
あれから30年も経ったのだし、自分で好きなものを食べられるようになったのだし、高級な料理も色々いただく機会があった。
けれど、あの塩おにぎりの味には勝てないのだ。父と二人で出かけることはほとんどなかっし、その新鮮な記憶とともにずっとわたしの中にその味はある。
父はまだ健在だが、きっとわたしより先にこの世を去るだろう。悲しいけれどそれはわかっていること。
父と田植えと塩おにぎり。あの田んぼがどこだったのかもわかっていないが、あの体育館の景色だけは鮮明に覚えている。
そんな記憶があることをありがたく思う。
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