まもなくこの生活も終わる。
自粛期間を経て。
いよいよ仕事再開の目処がたってきた。
たった二か月。されど二か月。
わたしは多くのことに向き合えた。
たくさんあって書ききれないのだが一番大きかったのは
自分自身を自分の頭で固めていたことに気付くことができた。
私にとってはかなり大きい変化だ。別に英才教育も受けてなければ、そこそこの大学に入って内定をもらえた一社に決めて、特に大きな不満なく続いていた毎日。
決められたルールの中でうまく自分で工夫し、限られたなかで遊ぶ。別に豪遊したい気持ちもない、趣味はあるけどどれも浅い。没頭できるようなことがない空虚感はいつもそこにあった。
それを埋めるために、正社員という肩書きは保っておきたかった。とりあえずちゃんと仕事はしてます、と。自由が利く転職先を見つつも、まだタイミングじゃないとか、正社員を捨てたくないエゴが強くあった。あと、ある程度会社でのポジションも落ち着いてきて築き上げたものを自分から捨てることはしたくない、というプライド。
そんななか今回突然起きた自粛期間。
大事にできたことは、やっぱり暮らしだった。
食やインテリアはもちろん前から好きだったし、それがさらに加速化した感覚だった。
「暮らしの手帖」という雑誌を母が購読していることもあり、毎号さらっと目を通していたのだけど、朝食後ゆっくりコラムを読んで掲載されている料理に挑戦しよう、と小さな野望を持ちその日の夕食にトライするというような生活ができた。
夕食まで手がまわらないときは、昼食後に簡単なお菓子を作って、みんなでおやつを食べるというまるで小学生、幼稚園生の時のような過ごし方をした。普段一人暮らしだとおやつを作っても食べるのは自分だけでなかなか作る気も起きなかったが、近隣に住んでいる両親とともに送る生活は「豊か」そのものだった。
どうしても都心に毎日繰り出す生活をしていると、これがすべてのような感覚になってくる。休日は話題のスポットに行かなくちゃ、最新のアイテムを見に行かなくちゃ。そうした時間ももちろん刺激的で、トレンドを否定するわけでもない。
ただ、「それが好きだ」と思い込んでいなかったか?と自問するキッカケになった。
こうして小さな、ささやかな暮らしをごく身近な人と過ごすことは刺激は少ないかもしれないけど、とてもあたたかく自然なことなんだと思った。そんなこと知ってるよ。なんて2か月前の私は言いそうだけど、本当に身をもって認識した。
特に転職が決まったわけでもないが、人生でいつなにが起こるかわからないからやりたくない事に時間を割くのはもうやめにしようと心に決めた。万が一失敗したり、それが今後どんな形になろうとも受け入れようと。
ちょうど姪っ子が生まれて、小さな生命が必死に生きているのもを目の当たりにしたことも起因しているかもしれない。
この自粛期間、振り返るとあっという間ではあったけどこうして自分の価値観を改めてみつめられたことは充実以外の何ものでもない、ような気がしている。
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