学生の自殺が多い9月。学校と日本社会について考えてみた
こんにちは。元いじめられっ子のなるです。
9月。9月は毎年学生さんたちの始業式に合わせて自殺が多い悲しい月でもあります。
わたし自身不登校になったことはありませんが、我が子がもし学校に居場所がなかったり、行く意義が見つからないことで行きたくないということがあれば、快く「家にいなさい」と言ってあげれるように準備しています。
世間を騒がす学生起業家たちの低年齢化で”ポジティブな不登校”が増えている今、学校はもうすでに、義務教育の役割はなくなっているのかもしれません。
わたしが感じる学校、日本の教育について日頃から思う事
日本の学校教育でわたしがどうなったか
・勉強嫌い
・運動嫌い
・自分の存在意義を否定
・嫌なものでもやり遂げなければ価値がない
・指示がないと動けない
・自分の考えを持てない
・孤立・孤独
今になって学校に行っていた14年間はいったい何だったんだろうと思ってしまいます。
そして低学歴な創業者、起業家、経営者はたくさん。不登校経験がある人も成功者たちもいっぱいいるのです。
そしてその人たちは
・自主的に読書や勉強をし
・体が資本だと健康を大事にし
・自分の存在意義を見出して
・自分の可能性を信じ
・好きなこと(信じたこと)に没頭し
・自分の考えをしっかり持ち
・人にも恵まれる
という人たちばかりです。
じゃぁ、学校ってなんのために行くんですか?無理していかせるんですか?
学校で教えてくれることは、オンライン授業やドリルでも十分に対応できます。
体育の授業よりジムのトレーナーに体の鍛え方、健康維持の秘訣を聞いた方が将来有益です。
書籍では学校で学べない、教えてくれない有益情報が溢れかえっています。
要するに自主性を無くし思考力を奪い、自己肯定感も下げてしまう環境では将来活躍し、日本を支えていく人材がいなくなってしまいます。
それどころか、思考停止が招く不幸の一般化(今の現状は苦しいけどこれが当たり前という感覚)を持った人が溢れ、社会では抱えきれないほど貧困層を増やすことになってしまいますし、今現在そちらの方にまっしぐらな状態です。
先生たちも思考停止状態
年々、真夏に酷暑が続く中、屋外でのスポーツを日が高い時間帯に行い熱中症で倒れる生徒がでたというニュースも毎年よく聞きます。
気温が30度以上で太陽からの直射日光をガンガンに受けながら激しい運動をしたら、熱中症になるのが当たり前だというのに、それでも
「自分たちが学生の頃はそれが普通だった」と、自分の記憶の繰り返しでやってしまう。
そんな人も多いでしょう。
座学でもそう。宿題や黒板の書き写しでは非効率だと結構な量の本や文献に書いてあるのにそれをさせる。マインドマップの存在すら知らない先生もいらっしゃいます。
先生も授業のための勉強はしても子ども達を効果的に社会で活躍できるように導くための勉強をどれだけの人が自主的にやっているか...。
公務員のなかでブラックと言われている教師という仕事の過酷さがまた心を失った機械のような状態になっているのがそもそもの問題ですよね。
思考停止しているのは先生達だけじゃない
先生だけが悪いわけではありません。これは社会全体の問題であり、それは同調圧力という大衆化の流れで多くの人が思考停止の中、生きづらさを抱えています。
多くの大人の口癖に
「当たり前」
「常識」
「みんな(同じ)」
という言葉があります。
辛くても、しんどくてもそれが人生で「当たり前」「常識だ」「みんな(同じ)」という言葉で何の疑問もいだかないしそこから抜け出す努力をしようという発想がない人が多いのが問題なのです。
人生を切り抜けるためには常に自分の心と向き合い受容しなければなりません。
だからこそ自分の”苦しい””辛い””生きづらい”などの負の感情を「当たり前」「常識だ」と否定していては前に進めないのです。
前に進んだ後、個々が「どうすればこの問題は解決できるんだろうか」と行動(読書や勉強をして学ぶなど)することで問題は解決していくようになって初めて社会が好転していくのではないでしょうか?
そもそも義務教育とは
義務教育とは大人が子どもに教育を受ける権利を奪わないことであって「学校に行かせるのが義務」ではありません。
子どもがやりたいと言い出したことは、どうやったらなせるかを子ども自身が引き出せるようにし、子どもが嫌な事は親の価値観や感情で押し付ける事のないようにしたいですね。
もし、子どもが学校に通うことを選ばなかったときはどういった方法をとるか。こどもに安心して「学校に行かなくてもいいよ」と言えるように、こっそりいくつかの選択肢を準備しておくのもこのご時世では必要なことだと思っています。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
この記事があなたの子育てや生き方の参考になれば幸いです。
ではまた。
↓なる。が影響を受けた本