おいしさの話
生まれてこの方、母の手料理を食べ続けています。私の母はもうだいぶ高齢ですが、今も台所に立って家族の健康を守ってくれています。
我が家は、年に数回あるかないかを除いて食事は殆ど家で摂っていたので、幼い頃は外食や既製品に憧れました。特に中学生になって学校へお弁当を持参するようになった時はひとつの分岐点でした。周りの友人のお弁当と自分のを比較して、テレビで宣伝している〇〇を買ってくれだの、色のあるものを入れて欲しいだの、あーだこーだ言っては母を困らせました。おそらく見映えにこだわったのでしょう。でも、そのとき母は黙って私の言うおかずをお弁当に入れてくれました。茶色一色のお弁当がカラフルに変身して、私は大満足でした。
今考えると、なんと愚かなことを言っていたのかと思います。
時折、この話題が出てくることがありますが、母はそうだったわねと言っていつもただ笑っています。
大人になって憧れだった外食が自由に出来るようになった時はもうルンルンでした。そののち年を経て食べ物の嗜好が変わったり、お付き合いがあったりと、これまで様々な業態のお店で食事をする機会がありました。でも、つまるところ一番飽きがこなくておいしいと感じるのは、母の手料理なのかも知れません。
新鮮な素材を見る目、いいものを賢く買い物する術(すべ)、丁寧な下ごしらえ、一番おいしい状態で食卓に出してくれるタイミング。それらをごく当たり前に日常の中に取り入れている。この頃は一緒に買い物に行く機会も増えて母のまた違った横顔を見るうちに、ようやくそのようなことが理解できるようになりました。
おいしい味は、からだにスッと入ってきます。細胞が喜んでいるような感じです。中学の時の茶色いお弁当も本当はそうでした。きっと母が、お昼になった時に私がおいしく食べられるように毎日考えて作ってくれていたからではないかと思います。
おいしいって何だろうと考えた時、答えはコレ。やっぱり「愛情」に尽きるのかなと思います。