GO WEST
これはLifeClipsに沈めてきた話。私は、幽霊らしい幽霊を見たことがないんだけど、生きている人だったのか自信のない人とすれ違ったことなら3回ある(実際に生きていたら失礼なので、蔵出しの不思議な話と一緒にしなかった)。
①9歳のとき。母と地元の名所として愛されている某橋を歩いていた。橋の向こうにある繁華街に向かっていた。
自分たちの前方にいる、ゆっくり歩いている男性が気になった。厚手のコートで、白いモコモコのついたフードを被っている。当時通っていた小学校で、そういうコートを着ている子たちを「エスキモー」と呼ぶことが流行っていたので、「エスキモーだー」と思ったことから、やけに記憶に刻まれてしまった。
親子連れが追いついて、追い抜くスピードでその男性はゆっくり歩いていた。
追い抜いた時、私はその男性の顔を見た。青白い顔で、目は何も見ていないように真っ直ぐ向けていたけど、口だけが笑っていた。
その表情にビックリして、母の手を引いたと思うけど、母からはなんのリアクションもなく、周囲の人たちも見えているのかいないのか、何事もなく歩いていた。驚いているのは、私だけだった。
橋を渡り終えて、もう一度振り向いた。その男性はまだ橋の真ん中辺りを歩いていた。
②小6の12歳の夏。そのころは、家庭の事情で父方の祖母の家と実家を行ったり来たりしていた。週末に父と一緒に祖母の手伝いをして、日曜の夜に実家に帰る生活。それぞれ自転車で、父の後ろに付いて走っていた。
前方から、腕組みをしている女性が歩いてきた。不機嫌なのか、なにか緊張感がある。青いワンピースで羽織ものを肩にかけていたように思う。
自転車ですれ違って、しばらくしたところで父が「あれ、生きてるか?」と聞いてきた。2人で自転車を漕ぐスピードが上がったことは言うまでもない。
不思議なのは、正面から通り過ぎたのに、顔は思い出せないこと。洋服は思い出せるのに、顔だけは漫画みたいに目の当たりが陰になってしまう。
③今年の冬。仕事の関係で深夜過ぎに帰宅する。自宅近くでパジャマ姿のサンダル履きで、厚手のタオルケットを「雪ん子」のように被ったおばあさんとすれ違った。顔は虚ろだったけど、優しそうなタレ目の女性だった。
すぐに振り向いて誰もいなかったら怖い(向こうも振り向いていたら、それも怖い)と思い、少し時間を置いて振り向いたけど、時間を置きすぎたのか、近くの民家の人だったのか、私の見えるところにはいなかった。
島田秀平さんによると、幽霊になると一番最初に忘れてしまうのが自分の顔だという。再現出来なくなっているというか。だから幽霊を見たとして、あとあと顔が思い出せないというエピソードはよくあることらしい。その説によると②がそれに近い。
①は何かの障害のある男性だった可能性、③は単なる散歩の可能性を否定できない。
で、何故noteにこのエピソードを再掲しているかというと、あることに気付いたから。死者はみな西方浄土に向かうという。春分の日や秋分の日というのは、太陽が真西に沈むことから、浄土にいる亡者に思いを馳せる日なのだ。
この3人、みんな西に向かって歩いていたんだよね。
…おまけ…
高校生のとき、よく昼から学校に向かっていた(駄目人間でした…)。①の某橋のたもとにバスセンターがあって、タクシーもよく走っていた。信号で停まっている私の前を通ったタクシーをなんの気無しに目で追ったら、運転手と助手席の間に人がいた。後部座席にも2人いて、その2人よりは少し前にいるような。一瞬の出来事なので、錯覚なんだと思う。
ギュウギュウだなあと思って、この話を学校でしたら「そんな車ないよ!」と同級生たちに笑われた。
私は何を見たんだろう。
あと会社のトイレの洗面台はセンサー式の水道なんだけど、誰もいないのに水が出ていることがよくあって、何度か遭遇しているけど故障だと思っている。直さないのか、直せない(修理費がないとか)のかは謎。
多分、これで本当に蔵出し終了。