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カウンセリング・トレーニング(2)

昨日のナラティヴ実践共同研究センターのオンライン講座「カウンセリング・トレーニングコース」の2回目の内容について、キーワードやぐるぐる巡る思い?考え?

カウンセリングは会話(対話)である。

・今までの臨床心理学領域で、カウンセリングが会話であるとはっきり主張されることはなかった。カウンセリングにおける会話は、何らかの援助的介入を行うための道具として説明されている。

・カウンセリングが他の専門的援助と異なるのは、まさに会話それ自体が介入であるという点においてである。「心理療法は会話であり、セラピストとクライエントの対話を通じて新たな意味付けや理解、行為の選択肢が生み出される。」(フリードマン)要するに、カウンセラーがクライエントと話すことそれ自体が何かしらの支援となる。カウンセラーが話すことそのものが、クライエントへの介入(働きかけ)である。(太字は資料よりの引用と、講師の補足説明である)

上記の内容からスタートし、また資料の内容について補足説明があり、2つのグループセッションの時間があった。講師からは日本人は、自分の意見を述べることに慣れていないので、積極的に意見を述べるようにとの補足説明があったように思う。これは、私自身の勝手な解釈かもしれない。と思いながらも日頃の思いを述べた。

グループセッション1

何にフォーカスしてのグループでの対話だったのか忘れたが(昨日のことなのにである)、そこで、最近、私が、最近カウンセリングに対して、「カウンセラーとクライアント」には権力関係があると感じていることを述べた。
つまり、カウンセラーが正しいことを知っていて、クライアントはその正しい方法に導かれるというような感じである。気づき始めたのは、ある対話のグループに参加したことがきっかけだったように思うが、一方、カウンセリングに違和感を覚えたはじめていたことが、対話のグループに参加しようと無意識に思ったのかもしれない。とも思う。

グループセッション2

このnoteを書いておこうと思ったきっかけは、グループセッション2の討議項目に何を答えてよいのかわからなかったので、今の理解を書きとどめておこうと思ったのがきっかけである。

「会話としてカウンセリングを見ることについて」4つの質問があった。

■ 話すことが介入(働きかけ、インタベーション)であるということはどういう意味だろうか。

その時は、会話は、話す人の価値観でどこに問いかけるかが異なってくるからと考えたが、今は、話すことそれ自体が、基本的に相手に次の言葉を紡ぎだすことを促すというものであるからと思う。

■ カウンセリングを基本的に会話の実践であると考える場合、あなたのカウンセリング観にどんな変化が生じるだろうか(特に何も生じないだろうか)。

この問いに対しては、「文脈に対して介入していく」とのメモが残っているが、今思うと何のことかよくわからない。

カウンセリングとは、私の基本的な理解としては、カウンセラーがクライアントの変容を促すための働きかけであると思っている。そのような理解からは、カウンセラーとクライアントに「対等な関係性」ではないということになる。

一方、カウンセリングは会話の実践であると考えると、そこには「対等な関係性」があるというように感じられるが、、、。この理解でいいのだろうか。

■ カウンセラーの大半がもともと持っている期待できるスキルには、どんなものがあるだろうか。

グループセッションではこの話まではいかなかったが、「傾聴」「共感的理解」のスキルはあるのではないだろうか。

■ カウンセリングという専門的活動の特殊性を鑑みて、もっと高めていく必要があるスキルにはでどんなものがあるだろうか。

この問いについても、グループセッションでは話し合われなかったが、個人的には、「自分自身の心の幅を広げること」「会話を促すスキル」かなと思う。「傾聴」は、クライアントの内省を促すスキル?

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