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『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』初音ミク必要説

はじめに

俺はプロセカの"プレイヤー"ではない。スマッホンにアプリは入れてないしガチャに金を突っ込んだこともない。
パートナーがプロセカのプレイヤーであり、優に6桁くらいはガチャ代を突っ込んでいて、俺は隣でストーリーを眺めたりコネライを観たりたまに音ゲーを叩いたりして暮らしている。リアルイベントだとプロセカ感謝祭には二度、セカライは一度参加している。セカライは最前から2列目で、後ろからオタクの声がめちゃくちゃ聴こえてきて最高の環境だった。推しは天馬司。音楽とボカロ(概念)が好き。対戦よろしくお願いします。

※2/9追記あり ネタバレ解禁を機になんか追加で考えた事を書き加えた

発端

土曜に二度目の映画プロセカ視聴をして、今日仕事しながらいろんなことを考えており、帰ってTwitterを眺めるだけのナメクジになっていたらこの記事が目に留まったという寸法だ。

この記事、かなりの部分で前提の間違いがあり、その上で俺との解釈の不一致があり、なのに結論部分は割と納得できるという不思議なモノであった。

よって今回は俺が仕事中にダラダラ考えていた映画プロセカのこととこの記事に対する指摘を久しぶりにダラダラ書き連ねてみようって話。わかったか?

件の記事について

かなり間違っている。主に「『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』が『プロジェクトセカイ カラフルステージ feat.初音ミク』というスマホ向けソーシャルゲームの映画化である」という視点が一切無く、更にボカロについてもどうやらそんなに興味がない様子なので、ゲームの設定やキャラクターと元々の初音ミクやボカロが持っている文脈等の切り分けが出来ていない。

この点に関しては正直「まぁ、それならそれでしょうがねえわな」みたいな気持ちはある。どうしようもない。夢幻列車編がはちゃめちゃに売れたせいで鬼滅の刃のアニメの途中のエピソードに当たるという事を知らないまま映画を観にくる層とか居たらしいし。

一つお気持ちを述べるなら、件の記事では映画プロセカを"春映画"に近いと評していたが、多少プロセカについて知ってる俺とかからすると「ワンチャン春映画が出て来てもおかしくないと思ってたら想像の5億倍くらいちゃんとプロセカと初音ミクの映画がお出しされた」くらいの感覚でいることは知ってほしい。ちゃんと全員に活躍の尺があって破綻は無く全体的なクオリティも申し分ない上に、ちゃんとプロセカや初音ミクを知っているとグッと来る文脈がきちんと拾われている。OverQuartzerでGだのコミカライズクウガだのが出て来た時や平成が掲げられた瞬間くらいにはグッと来る。でも全然、瞬々必生とかではない。そんな感じ。閑話休題。

とにかく、ざっくり言うと「ボカロ以外のメインキャラクター4人×5チームの20人は、プロセカというゲーム固有のキャラクターである」、「セカイというやつもゲーム固有の設定である」というのが前提としてあり、彼ら彼女らの活躍を知らずともそういうものであることだけわかっていれば、せめてその辺の切り分けくらいはしながら視聴できたんじゃなかろうかという予想。まぁボカロにもあんま興味無いってなるとわかんないけど。

そろそろ俺の映画プロセカ評について語っていこうと思う。

映画プロセカは、初音ミクの映画である

初音ミクは現代における神である

原初、初音ミクはクリプトンの開発した合成音声歌唱ソフトであり、そこに付随するデザインと少しの設定を付与されたキャラクターであった。

初音ミクは多種多様なクリエイターによって歌わされ、描かれ、踊らされ、ありとあらゆることをさせられた上で、それらを全て初音ミクのパーソナリティーとして呑み込んだ。

どういうことかというと、例えば今をときめく米津玄師がハチ時代に初音ミクに「子作りしようか」と歌わせた『結ンデ開イテ羅刹ト骸』では黒髪ツインテ和服の"初音ミク"がおり、『オマーン湖』ではツインテールが脚になってM字開脚をしている頭だけの存在になった"初音ミク"がおり、ネギを振り回すはちゅねミクという"初音ミク"がおり、味わい深い表情をした着ぐるみがミクダヨーという愛称で"初音ミク"としており、ブラジル国籍っぽいデザインの"初音ミク"を皮切りに各国の"初音ミク"が生み出されており、ポケモンとコラボした初音ミクは18種類のタイプに合わせてそれぞれ別のデザイン別のキャラクターである"初音ミク"として並存しており、プロジェクトセカイにおいてはそれぞれのセカイにキャラクター達の想いから生まれた違う姿の"初音ミク"がいる。

そしてそれらは全てイデアな、みなさんご存知のビジュアルと設定の"初音ミク"より分化した"初音ミク"でありながら、大元のイデアな"初音ミク"を構成するパーソナリティーにもなっている。

これはちょうど神道における八百万の神々が全国津々浦々の神社に分霊として奉られている関係や、我々の持つ集合無意識がそもそも神という存在を定義するという関係(アニミズムとかね)と同じものであり、よって初音ミクは現代の神である。

まぁ初音ミクに限らずキャラクターは往々にしてそういう側面があるものだけど、初音ミクさんの凄いところはその多様性を呑み込むだけのUTSUWAのデカさ。東京ドームで何個分?

これは、ボカロの主要なコンテンツである楽曲において、同じ"初音ミク"であっても調教するボカロPによって"初音ミク"の歌い方や声に個性が生まれ、それらを「ウチのミク」という形でクリエイターもリスナーも受容する土壌があったからであると考えられる。ソシャゲにおける弊なんちゃらみたいなのに近いかもね。或いは"ネコ"っつったらみんなざっくり"ネコ"を思い浮かべて大凡のパブリックイメージは共通するけど、それぞれのお家のネコチャンには個性があるとか、そういう感じ。ネコチャンと結婚しまちた〜😘ってキチゲエが居ても世界中のネコチャンがそいつのパートナーになるわけではないみたいな、わかるよな?

プロセカのミク

ここでプロセカにおける"初音ミク(バーチャルシンガー/VS)"の話をするんだが、俺はちゃんとプレイしてるわけではないので、細かい部分に相違があるかもしれない。その時は遠慮なくぶっ叩いてくれ。

プロセカにおける"初音ミク"とは、我々が知るイデアな"初音ミク"と、"セカイのミク(VS)"の2種に大別され、前者は時々キャラクターや我々の前に現れる"電子の歌姫"であり、後者はメインキャラクターである少年少女の強い想いが重なった結果として発生した"初音ミク"の個性の一つである。

"セカイのミク(VS)"達はメインキャラクターのユニット毎にそれぞれ存在し、メインキャラクターの影響を強く受けた姿形や性格になっている。バンドユニットのミクはバンドやってるし、アイドルユニットのミクはアイドルやってる。そういう感じ。

そしてそれら"セカイのミク"は、キャラクターの本当の想い、心象を反映した"セカイ"という空間に存在しており、ここにはメインキャラクター達が入ったりすることもできるし、なんかスマホからVSがホログラムっぽく出て来たりもする。そういうもんらしい。わかったか?

あとなんか、プロセカのストーリーの一番最初に当たるらしいメインストーリー(このメインストーリーの続きがイベントストーリーとして更新され続けている)で、セカイと同時に"untitled"って楽曲が想いの持ち主のスマホとかに発生して、物語を進めながらこの名前の無い曲を完成させて自分の想いを形にするみたいな話をやってたっぽい。

とにかく、プロセカでは4人の少年少女がそれぞれ5つのユニットを組み、そこにはなんかしらの問題があって、その想いによって"セカイ"、"セカイのVS"、"untitled"が生まれ、キャラクターやVS達が関わり合いの中で前に進んでいく。そういう話になっとる。

俺はこのプロセカの"初音ミク"像を非常に評価していて、これは先に述べた初音ミク神論や、ありとあらゆるパーソナリティーを呑み込む在り様と同じだからだ。少なくとも俺はそういう感じで初音ミクを捉えているし、これは初音ミクのみならずクリエイターそれぞれの個性を認めるというのにも繋がっている。良いことやホンマ。

バツミクこと歌えないミクとはなんだったのか

バツミクとは現代の神である。ただし、その身には呪いを背負っている。

映画内で説明された通り、バツミクは夢破れ、諦めてしまった人達の想いが(それも4人どころではない、たくさん!)重なって発生した"初音ミク"の個性の一つである。

"セカイのミク"はみんな、想いの持ち主が前に進むための手助けをしようとしてくれる。俺はこういう、人によって発生した人ならざる者が人への愛を以って献身してくれる感動ポルノが大好きだが、閑話休題。

しかし、バツミクは夢破れ、諦めてしまった人々の想いから生まれている。つまるところ、失敗や破綻をアイデンティティーに強く組み込まれてしまっているのだ。それ故にバツミクの「夢破れそうな人々の背を押したい」という想い、願いに限って叶うことはなく、普通の人々やメインキャラクターには普通に見えたり聴こえたりするのが、そういう夢破れそうな人々にはノイズにしか見えず、聴こえない。なぁバツミクさん、HyperPopやらないか?

これと同じ機序で発生したキャラクターを描いた作品がある。プリパラだ。プリパラにはアイドルへの憧れがアイドルとして受肉したファルルというキャラクターがおり、同時にバツミクと同じくアイドルという夢が破れ諦めてしまった無念がアイドルとして受肉したガァルルというキャラクターがいる。マジでこのファルルとガァルルが歌う0-week-oldという曲が映画プロセカ過ぎると俺の中で話題にという感じなんだが、閑話休題。

バツミクさんを構成する大きな文脈の一つに『初音ミクの消失』がある。暴走Pが一大ムーブメントを巻き起こし、今でもアンセムとして名高い、おそらくトップレベルで有名な初音ミクの二次創作である。やみのま!された"セカイのミク"が0と1に還元されるのも重要なシーンで「アリガトウ ソシテ サヨナラ」するのも消失オマージュであることは語るまでもない。

ところで多分プロセカの世界って我々の現実世界以上に初音ミクという神が存在としてデカい(俺が読んだ数少ないストーリーだと、どうもミッキーやピカチュウに準ずる受け入れられ方してるし、普通にオカルトっぽい挙動も受け入れられるっぽいし、マジで自然発生する電子の妖精的な存在として受容されてるらしい)世界だと思うんだけど、そんな世界で投稿された楽曲等も含めて「初音ミクの声が消える」みたいな現象が起こったら、普通に死人が出るんじゃねえのか……?世界の終わりだろ普通に。閑話休題が多過ぎる。

最終的にバツミクは諦めの奥底に隠れていた「諦めたくない」という本当の想いを受け継いでくれたメインキャラクター達の歌によって心を動かされた人々に、自分の歌声を届けることに成功する。

件の記事では「初音ミクの想いを人間が勝手に歌うなら初音ミクいらないし、初音ミクが勝手に歌うならクリエイターもいらなくね?」みたいな話をしていた。

だがしかし、これはそもそも「夢破れた人々(たくさん!)の想いによって生まれたバツミクが、夢破れた人々の本当の想いである諦めたくない気持ちを歌にし、想いを受け継いだキャラクター達の歌によってその本当の想いを思い出した人々と相互参照することで願いを叶えられる、歌を届けられるミクになった」という仕組みになっているのだ。

たくさんの人々の想いが重なって発生したからか、バツミクの消失が現実世界にも影響を及ぼしたこともあり、神である初音ミクとしてはかなり根幹、イデアに近い存在であったと言える。

更に言うと、これは夢破れそうな人々への祝福でもあった。失敗、諦念をアイデンティティーの根っことして生まれて来たバツミクが本懐を遂げるということは、彼女を生み出した人々もまたそのようになれるということであり、俺はかなり良いと思う。初音ミクの映画であると同時にクリエイターへのエールでもある。初音ミクもクリエイターもどっちも必要なんだよ。

バツミクさんが真の姿になりスクリーンから飛び出して歌を届けるのと時を同じくして、どこかの誰かのデバイスに"untitled"が発生する。これはつまり、どこかの誰か(もしかしたらあなた)もまたクリエイターとして想いを楽曲という形にする、メインキャラクター達と同じような存在になり得るという描写である。実写映画刀剣乱舞2作目とかみたいな、今までこのコンテンツに関わってくれたプレイヤーのみなさんへの感謝を映画にしましたみたいなやつってあるし俺は結構好きだけど、映画プロセカはその辺の語り方がかなり上手いと思う。上述の「バツミクが夢を叶えたことは即ちバツミクを生み出した人々の夢もまた叶い得る」とかもそうだけど、さりげなく、でもわかるように、大事なこととして描写しとる。それがだいぶ上手い。

バツミクさんが迷子じゃなくなってみんなとお別れになること、誰かがバツミクさんの世界を訪れるラストも本当に良い。状況を説明し過ぎず、でもわかる。この塩梅が良え。最初の方で春映画かと思ったらちゃんと良いのが出て来たと述べたけど、この辺のクオリティーの高さがそれを後押ししてると思う。

結論としては、初音ミクは必要だし、クリエイターも必要。それらはちゃんと描写されている。そういう感じ。

件の記事で悪くないと思った部分

なんかラストの結論部分は悪くないというか、多様性を否定してないのは良いことだと思った。ボカロは現状多様性の坩堝であり、Twitterでボカロの多様性を否定する言説を発信するとかなり軽率に炎上できる。最近のボカロ曲はエロばっかとか言ったらダメ。それはDECO*27よ。

まぁそれはそれとして間違いまくってはいるけどね!勝手にボカロリスナーをクリエイターに対するリスペクトに欠けた集団だと思い込んで納得してんじゃないよ。そういう奴が居たって良いし、まぁ居ないとは言わないけど、プロセカくん側もそういうつもりで作ってねえだろうから。どんだけ大手クリエイターを起用することでボカロ文化に発破をかけてきたか、どんだけ若手クリエイターのフックアップに力入れてきたかという話は、まぁ興味無きゃ知らんのだろうけど、違うんだよ。多分ね。

終わりに

駄文を書き散らした。かかってこいや。

別に喧嘩売ろうってんじゃないけど、なんか色々考えて書こうかな〜って思ってたところに丁度良い記事が現れたもんだから仮想敵として使わせていただきました。考えが纏まって(纏まってるか?)助かった。

それはそれとして、前提とかが間違いまくってる記事を鵜呑みにして「ウンウン、そうなのかも〜」みてえなことを、他人の言語化に乗っかってるだけのやつを、この、お前を、俺は軽蔑しとるからな。モヤモヤくらい自分の言葉で吐き出せや。ボケ。

俺も間違ってるところはいろいろあるとは思うので、遠慮なくぶっ叩いてくれて構いません。閑話休題が多くて良くないとかは諦めてください。忘れないうちに全部言いたいんだ。

ボカロ最高!(いけるか……?)

終わり

追記

メインキャラクター達が曲作れるなら"初音ミク"要らなくね?問題に対する答えがやや不足している気がしたので追加。

メインキャラクター達に"初音ミク"が必要だったタイミングって、(身も蓋もないが)言ってしまえばゲーム本編で既にやってたり、これからやるかもしれない話なんですよ。メインキャラクター達の挫折や苦悩みたいなものはゲームでかなり語り尽くされており、それを映画で語り直すことや解決を見せることは話が濁るばかりか、「ゲーム本編しかプレイしていない人が知らない苦悩の解決」が生まれてしまう、これは、いけない(石破茂)。

映画におけるメインキャラクター達は既に"初音ミク"によって救われたり背中を押されたりした、レベルアップした状態の彼らであり、バツミクさんや"セカイのミク"を救うことはその恩返しでもある。

これがわかるのが劇中歌の歌詞で、主にレオニの全部とワンダショの2番、モモジャンの2番が「自分を救ってくれた誰かを、今度は自分が救う側になる」という内容になっている。相互に救い合うことによって前に進んでいくという構図は上述した相互参照とも通底するものがあると考える。

そもそも論として、"初音ミク"はクリエイター無くしては"電子の歌姫"たり得ない。いろんなクリエイターが"初音ミク"の歌う曲を作るからこそ"初音ミク"は世界で一番持ち歌の多いお姫様な訳で、"初音ミク"のゲームでありながらクリエイター達が主人公になっているところからもわかる通り、その辺を汲んだ作品で結論がクリエイター軽視になると思うならシンプルに読み解きが間違っている。

あとは、じゃあなんでバツミクさんを含めた"セカイのミク"は調教とか抜きで勝手に歌えるの?ってのは、プロセカがファンタジーだからです。

存在の在り方としては刀剣乱舞の刀剣男子に近いかな。アレも「刀の付喪神が人の姿をとって、自らの本体である刀を振るう」という存在なワケだけど、これを見て「本来刀を振るうべき剣士を軽視してる」と思う人はあんまりいないと思うんですよね。なぜなら刀の付喪神が人の姿をとるってのがファンタジーだから。

刀剣男士が「武器が一種の神となり、人の姿を借りて自らの武器としての威力を発揮する」のと同様に、"セカイのミク"達は「道具/楽器/機械/ソフトウェアが一種の神となり、人の姿を借りて自らの道具としての性能を発揮する」というファンタジーなんです。元々の初音ミクというソフトに人型のキャラクターデザインがくっついてたから若干ややこしくなってるだけで。

とりあえず追加で考えたなんかはひとまずこの辺で。ネタバレ解禁されたし曲の配信も済んだし、俺も追加で応援上映とか行ってもう少し楽しみたいところ。実際あんまり期待してなかった側だけど、想像以上に良いところがたくさんある映画なので普通に何度でも観たくなってる。バツミクさんが可愛くて良い。そんな感じ。

終わり2

追記2

これは別にしなくても良い言及ではあるんだけど、プロセカをあんまり知らない人が「アフターライブって本編のライブシーンと比較するとやや微妙だったけどなんだったん?」みたいな事を言ってたので、一応言及。

アレはいわゆる(?)3Dキャラクターライブの文脈で、プロセカくんも(記事の最初で少し触れた)セカライってデカいイベントをやってたり、あとはVtuberのライブとかグラブルくんがフェスでやってるやつとか、最近だとシャニマスくんが「事前に撮ってあるから安心……? いえ、キャラクター達は"生きている"ので突然の体調不良で降板することも起こりますが……」ちゅってキャラクター一人欠席させて賛否両論巻き起こしたやつとかが有名かな。

音響は確かに俺もちょっと物足りないとは思った。だけど、「もうちょいカメラワークで魅せてくれたり、なんか後ろにデカいモニター置いて手元を映したりとかしても良いんじゃね?」みたいなのは、ウーン、場合によるかもみたいな。

というのも、そもそもアレは「その場でパフォーマンスしてる演者を客席に座って眺める」というコンテンツなので、カメラワーク案はちょっと違うというのが一つ。

で、別のモニターになんかしらのアップを映すのは、例えばセカライみたいなイベントだとやってることではあるんだけど、映画プロセカのアフターライブって実は「人に披露するためのものじゃなさそう」というのがあってぇ……。少なくとも3週目までのライブを4ユニット分観た限りでは歌いたくなったから歌ってるとか本番前の景気付けみたいなノリでやってるっぽくて、俺達観客が居ることを想定してなさそうな言動をしてるんだよね。これはゲーム内でやるバーチャルライブでは我々観客が豆腐みてえな形のアバターでライブに参加し、演者達もそれを認識して言及してくれるというやつと比べるとよくわかる。

今後4週目以降では内容が少し変わるらしい?のでどうなるかはわかりませんが、まぁそんな感じ。

音響は確かにちょっと物足りないけど、キャラクターが遠くてあんまり画面映えしないのはそこを含めてキャラクターの実在性を楽しむコンテンツであるという感じ。音響はマジでちょっと物足りないけど。映画館の構造上仕方ないんだけど、3Dキャラライブが見下ろすより見上げる方が実際に居るように見えるってのも若干足を引っ張ってる説はある。なかなか難しい部分ではありますが、自分なりに楽しんでいけたら良いよねと思います。

終わり3

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