プロミュージシャンになるには音楽をやめないで行動しつづける!
演奏家のひなたです
プロミュージシャンになって15年。
底辺ではありますが音楽で生活しています
メジャーで生活するのは一握りの天才。
ここではマイナー底辺でもしっかりと音楽で生活していきたい若者へ向けて
そのノウハウをお話します。
・音楽センスや技術は必須
・音楽をやめないで行動し続ける
・行動していると改善点が見えてくるので改善する
・その結果売上があがる
とてもシンプルです。
これは音楽に限らず全てに当てはまる法則だと思います。
私は15歳から音楽制作を開始しました。
それまでは漫画家になりたくて、小学生高学年から漫画を書いていましたた。(今でも上手です。)
「自分の漫画にBGMをつけたらかっこいいな」と妹のエレクトーンでにわかに音楽制作をしたのがきっかけです。
音楽を始めたのは作曲からでした。
作曲主体というのは35年たった今でも変わりません。現在でも様々なイメージに音楽を付けることをおこなっています。
学生時代はバンド等やったりしてプロになろうと思いましたが、もちろん、それは叶いませんでした。
卒業後はサラリーマンになり、結婚して、子供3人に恵まれました。
しかし、その間も音楽はやめずにずっと続けていました。
生活が変化するとは音楽をやめる人がほとんどです。私の音楽仲間もどんどんやめていきました。
もちろんバンドなどをすることは難しかったので、一人で主にパソコンを使い音楽制作をおこなっていました。
音楽制作をおこなっていると、様々な気付きがあり、少しずつでしたが楽曲も良いものを作れるようになりました。
30歳を超えてからは、色々な音の鳴る素材の収集を始めました。主に民族楽器や打楽器などでしたが、自分の楽曲にその素材を組み込むのです。
そして33歳にときに「風鈴」の収集を始め、自分の楽曲に入れるようになりました。
当時、4つの風鈴(江戸風鈴、南部風鈴、ウィンドウチャイム、貝殻風鈴)をCDに収録しました。
そのCDが1年を経たずしてヒットしたのです。
雑誌や新聞テレビ等で取り上げられ、収入が増え始めました。当時はサラリーマンをしていましたので副収入です。
CDを購入したかたから「この楽曲を生演奏で聴きたい」という要望をいただくようになりました。
CDの楽曲を演奏で表現できないかと試行錯誤しました。当時(現在もそうですが)風鈴で本格的に演奏する人はいませんので色々な形を創造したのです。
そして「風鈴演奏家」という名前が生まれました。
そのネーミングがよかったのか更にメディアで取り上げられるようになりました。テレビのゴールデン番組や新聞1面にカラーで紹介されたこともあります。
その結果、収入がサラリーマンの給料を大きく超えました。
脱サラしてプロミュージシャンになったのは35歳でした。そして、今に至る15年間プロとして活動しています。
脱サラしたときに決心したのが、
「好きなことだけをして生きていく。嫌なことはしない」
これは今も変わりません。残りどのくらいあるかわからないけど自分の大切な人生です。きっと1週間の命だとしても上記のように考えることでしょう。
もう一度書きます。
プロミュージシャンになるには
・音楽センスや技術は必須だが
・音楽をやめないで行動し続ける
・行動していると改善点が見えてくるので改善する
・その結果売上があがる。
なのです。
ありがとうございます。