旅と推理小説には共通点があるのです(自己紹介延長戦)
水面を優雅に泳ぐ白鳥に魅入られてこちらの画像を選びました。
ご提供いただきありがとうございます。
前回の投稿後、「自己紹介っぽいこと書いていない…」ということに気づきました。
皆さまは自己紹介は得意でしょうか。
自己紹介とは何だろう
キオスクは自己紹介が不得意です。
まずはこちらのイラストをご覧ください。
新しい環境に身をおくと手短に「自分とはこういう者です」と自己紹介なるものをされます。
オフィシャルの場だと「こういうことを話せばいいんだな」と自然とできあがったテンプレートを頼りに話したらいいのですが、ちょっとした雑談や食事の場になると、途端に頭の中がイラストのようにごちゃごちゃになります。
脳内検索エンジンに自己紹介と入れただけで複数の検索候補があがり、「あれ、何と言ったらいいのやら…」と悩むのが常でございます。
多くの人は「この質問がきたらこう返す!」と数々の経験を積み重ねてきた質問想定集がおありかと思います。
キオスクは人(三次元という生身の人間)と話す機会が少なかった故に、ちょっとした会話でも混乱してしまいます。
例えていうとそうですね…本の厚さでいいますと、円滑なコミュニケーションをされる方々が国語辞書、キオスクは十数ページの自由帳くらいでしょうか。
成功と失敗を繰り返しつつ、少しずつページを増やしている真っ最中です。
以前は「あ、やってしまった…」と失敗を恐れてふさぎ込んでいましたが、今は失敗から得られた学びを活かして「次はこう話したらいいかもしれない」と前向きになれるようになりました。
徐々に定型句っぽいものができつつあり、自己紹介がほんの少し得意になりました。
「旅行」と推理小説が好き
自己紹介が苦手な理由は会話の経験不足と、「自分が何が好きか分からない」のもあります。
自分のことを考える時間がなかった頃は、「この人がこれが好きだから自分もそうだ」と無意識に思っていました。
自分軸を持ち始めてから色々と取捨選択したところ、ほんの少しですが今でも一貫して好きなものがありました。
見出しのとおり「旅行」と推理小説です。
一般的な旅行はもちろんのこと、キオスクは隣県に出かけるのも旅行だととらえています。
(あくまでもキオスクの持論です)
現地で観光するより、移動中の車内や宿泊先のホテルで我が家のように過ごすのが好きです。
つくづく自分は一般論からかけ離れているな…と感じています。
推理小説は青い鳥文庫を小さい頃から読んでいました。
ふと今でも図書館に行くと読みたくなる衝動に駆られますね。
小説の他に、ミステリー系のアニメやドラマも好んで見ています。
終盤にかけて物語の真相が明らかになる展開にワクワクします。
そこでギモンが浮かび上がりました。
Q.「旅行」と推理小説の共通点は?
この2つには何か共通点があると直感で感じたものの、答えにはたどり着けませんでした。
ところが、このギモンに自力でたどり着いた人がいました。
A.クリスティーが知っていた
ミステリーの女王アガサ・クリスティーは『ナイルに死す』にてこのように書かれています。
この言葉が目に飛び込んだとき、頭の中に謎が解けた解放感とその時の心情をメモしました。
以下がその内容です。
同感できる。ただ、私にとって行ったことがない国内が異国であり現実逃避できる。
幼少期は家の外が異国だった
今は県外が異国である
いずれ国外が異国になりそこに自分の求める場所があるかもしれない
子どもの頃は家の中が外の世界と繋がっていると思っていました。
家と外、どちらに行っても心が痛むけど、家のほうが安全だと。
ところが、外のほうが安全で思ったより優しい世界だと気づきました。
環境が違えば人も違う。
自分を傷つける人はいなくなり、助けてくれる人ができた。
「ああ、死ななくてよかった。そうじゃなかったらこんな幸せを感じることができなかった」
家より外へ、地元より隣のまちへ、国内より海外へ。
「高い壁を見上げることしかできない」と絶望していたのに、見下ろすという選択肢を使えるようになると、それは高い壁のように見えていただけで、幾重にも重なる波紋でした。
困難な壁を自分はすいすいと泳ぐ白鳥のように乗り越えていたのだとようやく気付くことができました。
いつか後ろを振り返って、過ぎ去った波紋を見て「よく頑張りました」とにっこり微笑む自分になりたいです。
それでは失礼します。