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白か黒かと聞かれたら、私は黒だと思う。 【後編~黒い服、着るのをやめたい~】
私はわりとおしゃれが好きな方だと思う。
流行りには染まらず、自分の着たいものを選んで、上手いことコーディネートしている(気でいる)。髪だって巻きたいし染めたいし(巻いてないし染めてないけど)、帽子やバッグもその時ごとのファッションになるべく合わせたい。
そしてアクセサリーは首にも耳にも(ジャラジャラ?)つけたい派である。
そんな私の服は、基本同じ色味のものばかりにならないようにしていて、
例えばこれから時期になる冬物だと、
綿100%のグレーのタートルネック、くすみカラーのローズピンクのトレーナー、茶色のアラン編みのセーター、襟にフリルのついたミントグリーンのロンTなど…色やデザイン、素材、柄が同じものばかりにならぬよう揃えている。
これは個人的なこだわりで、なんだか同じものばかりだと毎日あまり変わらない気がするのと、そもそも私は、シンプルなものばかりでなく、いろんなデザインの服が好きなタイプで、アジアンな恰好からオフィスカジュアルなものまで幅広く好む。そんなわけで着る服の種類は多様になりがちです。
で、今回は別にファッションの話がしたいわけではなく。(その話もしたいのだけど…!)
私はこうやって、あれやこれやと組み合わせて服を着るくせに、
さいごには必ず…黒いパーカーを上から着てしまう。
つまり、下に着た服は何も見えなくなる。
いや、意味ないやん、と思ったそこのあなた。
そうなのです。
せっかく色味の良いものを身に着けても、いや、そもそも黒いパーカーを着ること前提で、寒い日なんかは重ね着するものを決めている気がする。
自分でもなんのための服なのか、と思う。
なんのために黒とラベンダーとライトピンクのストライプが綺麗な服を着たのだろう。
そもそもファッションは自己満足だと思う。そしてそれでいい。
パリコレのような、服を魅せる(そしてブランドとして認知されていく、購買されていく)ような状況は別として、一般の人が着るものというのは、その個人の心を満たすものでかまわないはず。
自分の着たいものを着ればいい。
堂々と、着て、そしてどこへでも行けばいい。
もちろん明らかに人が不愉快になるような度の過ぎた格好はいかんだろうし、TPOだの、何らかの規則だの、制約があるならば別だけれども、基本はそれで間違っていない。
自分が休日にショッピングに行くときの服装なんざ、自分次第に決まってる。
どうしてなんだろう。
どうして私は黒いパーカーを羽織ってしまうんだろう。
裁判官が黒い衣に身を包むのは、何にも染まらないためというのを聞いたことがある。どちらかの主張に肩入れすることなく、あくまで(裁判官としての)自分として制裁を下すからだそう。
つまり、黒とは自分を通す色。
これはこうです、と主張しやすくする色でもあるのかもしれない。
どれだけピンクや青や黄色、黄緑など綺麗な色に塗られた絵画でも、黒を入れてしまえば瞬く間にそのキャンバスは色を失う。
全てを飲み込んでしまう色、でもある。
私にとって黒は、後者の意味合いが強い気がする。
自分を表現する手段の一つとして服があるならば、私はその表現をしているはずだった。
でも、きっとその表現をすることに何か抵抗を感じてるんだと思う。
だから黒を着る。
隠してしまう、なんとなく、公の目につくところに出したくないと思う自分を隠せてしまう色、なんだ。
ちょっと私の話になってしまうけれど、
私は自分の内側をうまく出せない。出すのが苦手だ。
出したくないから出さないというよりも、出したいと思っても、
なんか、上手く出てこない。
「え、でもそこまで着飾ってるんだったら、十分じゃない」
と思う人もいるかもしれない。
でも、本来なら、その着飾ったまんまで外に出るんだと思う。
でも私はその自分の上から黒をまとう。
こうやって、どうして着るんだろうって改めて考えてみると、やっぱりそれは自己表現をすることに、自己満足を追うことに、ちょっと、気が引けてしまっている、からなのかもしれないなと思う。
うん、そうだね、たしかに。(書いて認識)
私ってこんなイメージだと思うしとか、なんか変な感じだったらやだなとか、
周りからどう思われるのだろうかということを気にしてしまうところがある。
そしてそういう周りのことがすぐ目についてしまう、何を思っているかだいたいわかってしまう。多分そういうこともあって、余計に疲れるんだと思う。
一言で言えば、黒いパーカーを「なんとなく着ておいた方が無難だから」着ている。
気づけばいつも着ている。これはヘビロテというやつだ。
流行りを追わない私はボーダーの服が超流行したときも着なかった。
でも、黒を着ておけば浮かない、周りに馴染む、目立たないとかそんなことを思って黒に身を包み、自分のことをどこか見えないようにしていた。
前チェックだけかるく開けて、襟元だけ見えて、そこだけ自己主張、自己表現的な。
でも、本当は、着たくない、とも心のどこかでは思っている。
私は黒を着る前の私で完結している。それで私なのだ。
私はもっと、ちゃんと、私でいたい。
私を出していたい。
そんな私は今年、この黒パーカーとおさらばすることに決めた。
だってあると着ちゃうから。そして、黒物をなるべく身に着けないようにしようと思っている。
もちろん、黒が自分を表す色になる人もいる。
魅力のアップする人はいるだろう。
私も黒い服自体が悪いわけじゃないのかな、とも思う。隠すための黒じゃなくて、表現するための黒として着てみたらまた違うのかもしれない。パーカーではなく、ワンピースとして一枚で着てみるとか。
けれども現状、私の場合は、どんどん表現から遠ざかっていっている。
私はもっと明るくて、元気な感じが伝わるものの方がいいような気がしている。そんなものが好きだ。
だって私はもっと明るくて、元気なのだから。
というか、私は多分まだ、子どもだと思う。(笑)
大学生のとき、友達に
「まつんはさ、大人か子どもかって言われたら、子どもやで」
と何の迷いもなく言われたことを思い出した。(笑)
わしも、そうやとおもうわ。
でも、それを直そうというような気持ちにはならないし、どうであろうと、私は私でありたい。
もっと、自分の内を外に出して、生きていけるように。
その方が生きやすくなると思うので。
*
「自分は白だと思いますか、黒だと思いますか」
と聞かれたら…私は黒、
になりたくないのになってしまっているんだと思う。
いやいや、人としてはね、白…とはっきり言い難いのは人間らしさでありますが、
少なくとも自分を視覚で伝えるカラーとして、本当は心では別に望んでいない黒になってしまっていることは確かなんだろうなと。
前編で登場した『GIFT』の曲にもあるように、白と黒の間にはたくさんの色がある。
誰もが、その中で自分を表現するに相応しい色を身につけて生きていけたらいいよね、と思います。
私も自分が伝わるカラーを身にまとって生きていきたいな。
夜になると途端に寒くなる部屋から
2021.11.4
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