「可愛い」は薬にもなるし毒にもなる。
意味不明なタイトル。
という第一印象になるのは間違いない。
人に理解されない、私の気持ちを書いていこう。
特に女性は、「可愛い」「綺麗」といわれることが嬉しいだろう。
私も昔は、いや、12歳くらいまでは嬉しかった。
【毒】
私の学生時代は、友達の友達を紹介してもらう、ということが流行っていたし、それはみんながしている普通のことだった。
まずはメールで連絡を取り合い、早い段階で顔写真(ほぼプリクラ)を送りあう流れが一般的。その経験が私にとって毒を感じさせるものだったのだ。
顔写真を受け取った相手は必ず、顔に対してのコメントを送ってくる。コメントしない方が失礼だろう。私に送られてくるコメントは「かわいい」だった。「とりあえず可愛いと言っておけばいい」という暗黙の了解があったのかもしれない。年頃の男の子は、彼女が欲しい一心で、簡単に告白してくる。
私はその時、
可愛い=付き合いたい
可愛い=外見重視
ということを理解した。
中身を知って付き合うということを誰もしないことが悲しくなった。それから、見た目を褒めてくる異性に対して嫌悪感を抱くようになったのだ。
しかし、その嫌悪感を抱く対象は、恋愛対象になりうる人のみである。ここが特に理解してもらえないポイントだ。とはいえ、自分でもなぜなのかわからないのだ。いや、【薬】を書きながら、解明されるだろう。
※恋愛対象になりうる人と、そうでない人との違いは
未だ解明されていない。
毒を読めば、私が「可愛い」と言われたくない気持ちを少しでもわかってもらえるだろうか。しかしここから、さらに混乱せることを話していくことになる。
【薬】
「可愛い」と言われても嫌悪感を抱かない相手がいる。それは、友達だ。友達の定義もまた人それぞれではあるが、ここでの友達は、かなり近い関係の友達だ。
なぜ、友達から言われても嫌悪感を抱かないのか。
それは、❝友達❞だからである。友達というのは、お互いを知り仲を深めていった相手である。見た目が可愛いから、かっこいいから、タイプだから、という理由では友達という関係は続かないと思っている。
だから友達に言われることは、むしろ嬉しいのだ。そしてポジティブな気持ちにさせてくれる。友達に言われることで、「可愛い」「きれい」と、これからも言われるように頑張ろう、とまで思うのだ。
信頼関係のある人からの言葉の影響力は偉大である。
つまり、
恋愛対象 ⇒ 嫌悪感
友達以外 ⇒ 無
友達 ⇒ 嬉しい(心のサプリ的)
ということになる。
ここまで読んでも、理解されないかもしれないが、私にとってはマイナスでありプラスな言葉なのである。
同じ言葉でも、発言する相手によって受け取り方が変わることは誰にでもあることではないだろうか。
恋人に言われる「かわいい」は最大の誉め言葉になるだろう。
そして、気持ちを言葉にして伝えることが苦手な私は、少しでも多くのプラスになる言葉を、周りの人に伝えていきたい。