置かれた場所で咲くことのできない自分
私には逃げ癖があると思っていました。
なにか夢中になってはその熱が冷めるとその場に居られなくなる。興味本位で参加してみたものの、なんか馴染めなくてフェードアウトする。
ものごとだけでなく、人に対してもそう。
興味が湧いている間はその人の脳みその中身を知りたくて、知れば知るほどどんどん惹かれるのだけど、なにかのきっかけで人からもフェードアウトする。
思い返せば、幼い頃から人間関係を長く構築できたことがない。
自他共に「人当たり」は良いほうだと思っているけど
心から友人と言える人はいないような気がして・・・
そんな人間関係についてはまた別で書こうと思います。
HSS型HSPを自覚している私にとって環境が死活問題であるとこれまでの記事に書いていますが、
以前書いた記事 に、驚くべき実験結果があると書きました。
それは、蘭の子(HSP)とたんぽぽの子(非HSP)の健康についての調査結果で、ストレスのある環境の場合、非HSPは病気になったのが半分程度だったのですが、HSPはほぼ全員が病気になってしまった、という結果に。
そして、驚くのはここから。
ストレスのない環境の場合、非HSPはストレスのある環境の時と結果はほとんど変わらず同じくらいの割合で病気になったのですが、対してHSPは一気に健康な状態の割合が増えた、という事実が判明したのです。
この実験結果が示していること。
それは、HSPがストレスのない環境に身を置けば勝手に健康で居られるということ。それはつまり、HSPとして生まれ持った気質を才能として開花することができるということ。
私がこれまで信じてきたことの中に
『置かれた場所で咲く』
という概念があります。
どなたかの言葉だと思うのですが、ずっとそう信じてやってきました。どんな状況でどんな環境であれ、精一杯頑張る。できない自分を追い込む。
あらゆる手段を試みて、結果を出す。結果が出るまでやる。
そして、結果が出る前に疲れ果てる、もしくは熱意が冷める。
そして逃げる。
その繰り返しで、ずっと居場所を探し続けてきました。
居場所がない自分の不安定さと、他の人のように続けられない、頑張れない、結果を出せない自分に対する苛立ち、諦め、嫌悪感。
置かれた場所で咲くことのできない自分への失望。
次こそは!!と熱意を燃やすことでこの感情に蓋をして、自分自身を見て見ぬふりをしていました。
いや、むしろ自己啓発や成功哲学の本を読んだりセミナーに参加したり自ら学んでいる私は、他の人たちより自分自身を見ている、解ってるとさえ思っていました。(本気でそう思い込んでいました!)
何十年も ” 自分 ” を生きてきて、何十年かけて自分の気質がやっと明らかになった時に
『置かれた場所で咲く』この言葉は、人口の8割にあたる一般的な人たち(非HSP)にとっての言葉だったんじゃないかと思えてきたのです。
たんぽぽの子はそれほど環境によるストレスに弱くなくて、思考が深くなくて、置かれた場所で綺麗に咲ける。
蘭の子は、環境を整えて、手入れしてやっと咲くことが出来る。
じゃあこの言葉が当てはまらないのかというと、それも違う。
置かれた場所を選んできたのは自分。
ここしかなかった、と諦めて決めたのは自分。
状況の条件で結局選んで決めてきたのは自分。
置かれた場所で咲きなさいの
言葉通り生きると枯れるけど
置かれた場所をコントロールする、選んで決めていく、それを周りのせいにして放棄して生きていくのは蘭の種として生まれた自分を粗末にすること。
何十年も自分を粗末に雑に、たんぽぽのように育ててしまってきた自分へのケアをしていきたい。そう思えてきたのです。
この言葉以外にも、私の奥底に潜む自分の種を無視して積み重ねてきた観念を拾い上げて手放していこうと思います。
HSS型HSPという気質で良かった、そう思える人生を歩みたい。