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周波数チャンネルを合わせる

子供の頃、テレビで見たい番組の取り合いをしたことってありますよね。私の住む宮崎には民放が2つしかないので取り合いもなにも…って感じですが😂
”表”と”裏”とその2つのチャンネルは表現され、何テレビなのか7年住んでも今だに理解できておらず…表も裏もクイズ番組っていう謎の事態が宮崎ではしょっちゅう起きています(笑)。

今日はそのチャンネル合わせについて。見えてる現実が、実はテレビ番組と同じようなものだったら…?


現実は答え合わせ

「私たちの世界は周波数で出来ている」と聞いた事がある方は多いと思います。全ての物質は素粒子でできていて、それぞれ固有の周波数で振動している、と。固い物質も実はスッカスカの素粒子の集合体なんです。

私はワタシ固有の周波数で
あなたはアナタ固有の周波数で
振動している。

周波数の違うものは物理的に違うものになります。そして同じ周波数同士は互いに共振共鳴する、という性質も理科の実験で体験してご存知かもしれませんね。(同じ音叉同士が共鳴するなど)

そこでテレビのチャンネルですが、”表”の番組を映すには発信側が”表”の周波数で発信し、受信側も”表”の周波数で受け取ることで今日も問題なくクイズ番組が見れるのですが、”裏”の番組を見たいと思ったらどうしますか?

そうです、チャンネルを変えますよね。”裏”の番組に変えるはずです。これが受信側で周波数を変えるという行動になります。

その時に頭の中で何が起きたのでしょうか?

「この番組面白くないから変えよう」
「⚪︎時から推しが出るから観なきゃ!」

こんな風な思考が湧いたのではないでしょうか。

これはテレビで例えましたが、実際は現実も同じです。自分が見たいチャンネルの周波数に合わせて出来事が起きています。

こんなこと望んでいない、というような事が起こっていたとしてもそれは自分が望んだ周波数に合わせていた結果。自分という受信側の周波数に気づかず間違ったチャンネルを延々と見続けているということになります。

そしてその周波数というのがその人の持つ「解釈」になります。見ている番組(=起きている現実)は、その人が”当然”と思っている解釈通りのことがその周波数通りに起きているので、ただの答え合わせをしてるだけなんです。

「ワタシはこれを当然だと思ってる。これがワタシの解釈!」と思ってる通りのことを、答え合わせによって強化し「うん、ワタシ間違ってない🎵」と今日も自分の解釈通りの1日を過ごせます。そして変わらぬ心地良い空間(コンフォートゾーン)の中で生きることが出来ます。

簡単に言えば、自分にとっての”当たり前”が、そのまま現実に起きてるということなんですね。

見たい現実を変えるには

では、今の現実が望む番組でないのならどうしたらいいか。

今の目の前の現実が自分の周波数と一致してるわけですよね。現実を変えたいのなら必要なのは周波数を変えることだとお伝えしました。

となると、チャンネルを変えればいいだけです。

さきほどの頭の中で起きた例で言うと

「この番組面白くないから変えよう」
「⚪︎時から推しが出るから観なきゃ!」

これらの思考の解釈はなんでしょうか?

  • 「この番組面白くないから変えよう」
     →「面白くない」という解釈。

  • 「⚪︎時から推しが出るから観なきゃ!」
     →「〜を観る」という解釈。

違いは歴然ですね。
「面白くない」という解釈のままチャンネルを変えればそのまま変わらず面白くない現実のまま。
「〜を観る」という解釈で選択し、行動をしているのでその解釈通り観ることができます。

これはなにかというと「決める」ということです。

  • 〜を観ると決める

  • 〜を体験すると決める

  • 〜を感じると決める

自分の中の当たり前を変える。面白くない番組をずっと観てられるほど人生は長くないかもしれません。

まずは、自分の当たり前に気付いて変えたいのであれば「決める」ことです。


自分の当たり前を探す

でもここで問題が出て来ます。

自分にとっての「当たり前」は、当たり前過ぎて分からないという点です。これが簡単そうで意外に難しいのです。

10年くらい前、驚いたことがありました。

ビルの8階くらいにあるレストランに友人と行った時のこと。当時の私は築30年以上の古いアパートの4階に住んでいました。

高い視界に浮かれて「景色がいいね」と友人に言ったところ「そうかな〜?」と返ってきました。

友人は高級タワマンに住んでおり、明らかに自宅からの眺めの方が美しかったので彼女にとっての”当たり前”の言葉が返ってきたんですね。私にとっての”当たり前”はそこで崩壊しました。自分の常識は他人の非常識とも言いますが、まさにその通り!という出来事。

このように、自分の当たり前は当たり前過ぎて気付けないという問題があります。

ただ、そこに気付く方法があるんです。その方法をお伝えします。

現実はただの答え合わせでしかないと言いましたが、その答え合わせをしている日々の中でイラっとしたり悲しんだりすることってありますよね。その自分が反応してしまうところが「当たり前」だと思っているけれど、変えたいと思っているところです。

反応しっぱなしであれば番組は変わりません。私はこんな番組を見たいんじゃない、〜な番組を見たいんだ!と決めて、番組の内容に反応せずに望む番組のチャンネルに合わせることをするだけなんです。

「決める」と決めて準備する

決めるという方法を手に入れました。

決めた次は…?そうです、みんなの苦手な行動ですね(笑)。

番組を変えるには決めてリモコンでピッとチャンネルを変えるという行動をしますよね。

これをするだけです。

この番組見たくない…と思っても、テレビを消すにしてもなにかしら行動しないとテレビはつきっぱなしです。誰かに消してもらうにしてもお願いするという行動が絶対に必要です。

何もしないで願ってたら引き寄せられる〜と思うのは勝手ですが、残念ながらそんな魔法はありません。

このことを私は「準備をする」というふうに言っていますが、その決めた新しい「当たり前」が自分にとって本当に当たり前にできるのか、そんな自分になる準備をするのです。

私にとっての8階の視界が「これが当然ですよ」というくらいの自分を準備すること。自分にとっての新しい当たり前は非常に心地悪いものです。変えたいと思っても変わらないのは、心からその当たり前を欲してないのです。人間、心地良さ(コンフォートゾーン)から抜けるのは誰だって苦痛だからです。


そして、準備をするには絶対必要なのが「安心感」。

安心感のない環境で哺乳類は絶対に良いパフォーマンスはできません。安心感があるから心地良さから抜けるチャレンジができるのです。それくらい安心感のパワーは絶大なんです。

安心感を育てた上で「決める」と「準備する」をやっていきましょう☺️


ではでは、また!

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