この世界は捨てたもんじゃない #ありがとゆかにゃ
「ゆかにゃ」こと、宮崎由加さんの卒業コンサートを観に行った。それは僕の人生の中でも、きっとそう沢山は訪れないような重要で美しい時間だった。どうやってもうまくまとまらないけれど、なんとかこの感覚をなくさずに残しておきたい。
今回のコンサートで歌ってくれたことに感謝した曲が2曲ある。1つ目は「この世界は捨てたもんじゃない」。大好きな、そして僕にとって、とてもとても大切な曲。一番の終わりに「捨てたもんじゃない」と力強く歌い上げるのは卒業するゆかにゃだ。その歌声に自然と様々な記憶が蘇ってきた。
旅行
2年半くらい前にもう人生なんてどうでも良くなった時があった。
引き篭もって見たかった映画を何本かみたけど、すぐ見る気がしなくなった。ゲームは3日間ぶっ通しでやってたら急に虚しくなって消した。音楽は全部煩くて聞きたくなくなった。
スマホの中のアプリと写真と連絡先を全部消して、あとは自分をどこで消すかをぼんやり考えた。どこか誰にも見つからない場所。はっきりとした行き先は決まらないままで新幹線に乗った。神戸からフェリーに乗り替えて高松に。四国には行ったことなかったし、あんまり人が多くないと思ったから。でも、結構住んでいた。うどんを食べて引き返し、今度は京都に向かった。最期に見ておくべきものがあるかもしれないと美術館や寺をいくつか回ったけれど、足が痛くなっただけだった。それから、ひとけのない場所を探して彷徨った。夜になって名前もわからない山の奥に着いた。
お誂えむきの枝ぶりの木を見つけて、ベルトを縄代わりにくくりつけた。でも、いざ首にあてようとしたらそれ以上身体が動かない。ベルトを手にしたまま立ち尽くす。やがて耐え難い恐怖が襲ってきて子供みたいに声をあげて泣いた。
僕は転げ落ちるように山を降りた。満月の夜だったと思う。薄く残った雪が光っていた。濡れた足が凍るようで、何度も躓いた。そのたびに馬鹿だなぁと心の中で呟いた。それに、あのときの往復の新幹線代とフェリー代があったら何回もライブいけたのにな。
何もない部屋に逆戻り。生きる気力はなかったけれど、死ぬ気力はそれ以上にないとわかった。すぐに死ねる人はすごく元気だと思った。
好きな声
死ぬこともできないとなると、いよいよやることがない。本も映画もゲームもストーリーを追うことが億劫で手につかない。一日中ほとんど寝ていて、起きていても対して変わりはなかった。唯一できたのはyoutubeで短い動画をみること。youtubeって面白いからみるんじゃなくて、何も考えなくていいからみるんだと思う。
対して興味もないおすすめ動画を適当に選びながら時間を消費していた。そんな動画の一つに、モーニング娘。のライブ映像があった。
思い返すと不思議だけど、つんくの曲の良さは全然わからなかった。ただ、妙に気になった子がいて名前を調べたりした。それからDマガの編集されたような動画を次々にみた。買い物したり、ご飯を食べたり、椅子取りゲームで号泣したり、どんな小さなことでも命がかかってるみたいに真剣で、感情を曝け出して生きてる女の子達を見ていると少しだけ心が明るくなった。他に見たいものなんてなかったから貪るようにいろんな動画を見続けた。
そんな中で中で出会ったのがJuice=Juiceの「この世界は捨てたもんじゃない」のライブ映像だった。
正直、この前向きな歌詞に共感なんてしなかった。というか、何を歌っているかは特に考えなかった。でも明るく可愛らしいメロディとそれを歌う美しいユニゾンが頭の奥底に染み込んでいくようだった。メンバーの名前は一人も分からないけど、5人が全員聞き間違うことのない綺麗な歌声をしていて、どの声も好きだと思った。
劇的に何かが変わるというわけでもなかったけれど、この世に一つ、好きなものができた。
しばらくは外に出て誰かと話すのが不自然に感じた。空っぽの心がバレないように、人間のふりをしているロボットになった気分だった。でもハロプロの動画を見てるとき、Juice=Juiceの曲を聞いているときは生きている気がした。
握手会
ゆるやかに生活に戻っていくと同時に急激にハロプロに傾倒していった僕はJuice=Juiceのライブにも足を運ぶようになった。
初めての単独ライブは仙台Rensaだったと思う。新メンバーが入ってすぐ、佳林ちゃんが機能性発声障害でお休みで、朋子さんも体調不良になってしまった日に初めて終演後の握手会に参加した。
握手会はメンバーの負担になるから行かないほうがいいかもとか、自分みたいのがきても嫌だろうとか、勝手に考えて緊張してしまい、気分が悪くなった。結局ほぼ何も言えず、目も見れなかったけれど、ゆかにゃが「Tシャツ可愛い!」と声をかけてくれた。誰にでも言うようなことかもしれないけれど、一番お気に入りのTシャツだったから素直に嬉しかった。
今は色々考えた結果、握手会は行かないと決めてしまっているけれど、あのときのことを忘れることはないだろう。
思えば、その後Juice=Juiceを観ている上でネガティブな感情を抱いた時、いつもそれを和らげ、ポジティブなものに変えてくれたのはゆかにゃだった。
正解にする
その数ヶ月前のハロプロ新体制。まだまだハロヲタと名乗るのも躊躇してしまうくらいの新規だったけれど、カントリーのことは眠れなくなるくらいショックで、怒りが湧いてきたし、Juice=Juiceだけには追加メンバーを入れて欲しくないと切に願ったりした。
でも、ゆかにゃ誰よりも早く新メンバーを受け入れて、前に進む道を示してくれた。
この言葉がどれだけ多くのヲタクの心の支えになっただろう。それまで他のメンバーに比べて歌もダンスも苦手な彼女のことを、「あざかわキャラ」でしか認識していなかった僕にとって、彼女が「Juice=Juiceの真のリーダー」だと思うようになった言葉でもあった。その言葉を信じようと思った。
そして、それは嘘ではなかった。新メンバーの入ったJuice=Juiceは、後輩を全力で可愛がる先輩と、偉大すぎる先輩に全力で追いつこうとする後輩の物語として更に魅力的になった。僕は新しく入ったメンバーの歌声も大好きになることができた。この2年間Juice=Juiceを応援するのは本当に楽しかった。
Good bye & Good luck!
今回のコンサートでもう一曲、歌ってくれたことに感謝した曲がある。最初のMCでまだ歌っていない曲を歌うと予告がされた。僕は既に今回のツアーで5公演に足を運んでいたのに、どの曲なのか全く検討がつかなかった。もう全部やったんじゃないかな?と思ったけれど、ひとつ勘定にいれ忘れていた。
本編ラストの曲は「Good bye & Good luck!」、梁川奈々美のラストシングル。これも発表されたときから大好きで、数え切れないくらいリピートした曲だけれど、やなみんの卒業後はもう当分歌われないと思っていた。
この曲のイントロが流れた瞬間、本当に嬉しかった。ゆかにゃが、やなみんを武道館につれてきてくれたような気がしたから。
やなみん
三ヶ月前、やなみんの卒業ライブがあった。最年少の新メンバー、カントリー・ガールズとの兼任メンバー、佳林ちゃんが憧れで、舌っ足らずで、でもおしゃべりで、とても賢くて、でも甘えん坊で、奇跡みたいに可愛らしい女の子は、天使みたいな微笑みを浮かべながら卒業してしまった。
彼女の突然の卒業発表から、純粋にハロプロが最高、Juice=Juiceが最高というのが前よりもとても難しくなった。何が正解かはっきりしなくなった。
僕がぼんやり抱いていた未来の中では、いつかゆかにゃが卒業するときには立派に成長したやなみんが泣きじゃなくりながらも、これからのJuice=Juiceは私にまかせてくださいと宣言をするはずだった。それから、やがてJuice=Juiceの中心メンバーやリーダーになって最後は嘘みたいにでっかい大きい会場で卒コンして、、、そんなありきたりな妄想は妄想のままに、現実ではZepp Tokyoでゆかにゃが泣きながらやなみんを見送っていた。
カントリー・ガールズってなんだったんだろう?兼任すべきだったのか?Juice=Juiceへの加入がなかったらアイドルを続けていたんじゃないか?今のハロプロってメンバーが夢を見るのが難しい場所なんじゃないか?卒業加入を繰り返すアイドルってただ女の子の人生を消費しているだけじゃないか?
僕がいくら葛藤したところで、結局選択肢はそれでも見守るか、離れるかの2択しかないけれど、メンバーとして、リーダーとして、ゆかにゃは比べ物にならないほどの葛藤を抱えたことだろう。
笑顔で理想のアイドル像を守り抜き、胸をはって卒業したやなみんの姿の眩しさ、最後のライブハウスツアーで見えたJuice=Juiceメンバーの愛情の大きさは、とても美しいものだった。やなみんという一人の少女が気高く走り抜けた様子を見れたことに感謝をしようと思った。僕の勝手な妄想より、彼女の現実の人生のほうがずっと重要だと本心から思っていたはずだった。
それなのに、ホールツアーで7人のJuice=Juiceを観た時に最初に感じてしまったのは、やなみんの抜けた寂しさだった。でもその寂しさは捨てなければいけないと、諦めなければいけないと自分に言い聞かせていた。
旅立つ人と送り出す人
そんな僕の心をすくい上げるように、ゆかにゃはやなみんの代わりにもう一度、「Good bye & Good luck」を歌ってくれた。きっとステージの正面の席に座っていたであろうやなみんに届けるように満面の笑みで。
これまでのJuice=Juiceの総決算、第一章の締めくくりという場面であの曲を歌われたこと、明言はされなくても、それはJuice=Juiceにやなみんという女の子がいて、大切なものを残してくれたことを忘れないというメッセージだと、僕は受け取った。
この曲は旅立つ人の曲ではなく、送り出す人が歌う曲だ。別れの寂しさではなく、祝福を歌うことで、送り出す人を強くする曲だ。
落ちサビでは、佳林ちゃんと紗友希さんの送り出す側が、ソロを歌う。やなみんに向けた歌詞を今度はゆかにゃに向けて。
ゆかにゃは目を大きく開いて少女のように、まるで初めて二人の歌を聞くみたいに嬉しそうに笑っていた。
その顔はJuice=Juiceってこんなに歌が上手くて、可愛くて素敵なんだよ!メンバー自身がニヤニヤしちゃうくらい良いグループなんだよ!と言っているようだった。僕は涙ぐみながら何度も頷いた。そうして違う道を進んだやなみんがそれを観ていてくれると思うとすごく救われた気がした。
抱きしめる
ゆかにゃは毎日を丁寧に生きて、美しいもの、可愛いもの、自分が大切にしているものをずっと守り続けてきた。毎日違ったコーディネートを考える。毎日ブログを更新して自撮りを上げる。自撮りを上げるのは、自分が道重さんの自撮りをみるのが楽しみだったから。そうやって人を喜ばせることを第一に考える。ずっとブレることはなかった。
卒業に際してメンバーが口々に言っていたように、ゆかにゃは誰よりも強いと思う。ゆかにゃの強さは、しっかりと大地に根を張りすくっとまっすぐ立っている大樹のような、そんな強さである。その強さは強い風が吹いた時に発揮される。嵐が来た時、そこに身を避ける人によって見出される。
揺るがない意志の力は見上げるようだけれど、でもきっと最初は小さな芽だったのだと思う。毎日水をやり続けることでここまで大きく育ったのだろう。
いわゆる推しではなかったけれど、彼女が他のメンバーの好きなところを話したり、写真をあげたりしてくれるのが大好きで、思えば彼女がJuice=Juiceを愛してくれることが、僕がJuice=Juiceを好きでいることの何よりもの肯定だったと思う。卒業セレモニーでゆかにゃに抱きしめられるメンバー皆が本当に愛おしくて、代わりにゆかにゃにありがとうと言いたくなった。
この世界は捨てたもんじゃない
ヲタクの心が揺れ動いても、好きな気持がわからなくなっても、世界の美しさを、可愛いさを、尊さを見失ってしまっても、ゆかにゃは変わらずにそれらを守り続けてきてくれた。
まるで僕の落としてしまったものを、彼女が拾って、そして大切に抱きしめて持っていてくれたかのように。
ありがとうゆかにゃ、最高の卒業式だった。この世界は捨てたもんじゃないね、だってこんな美しい景色が見れるんだから。
あなたが愛してくれたグループが僕は大好きです。そしてあなたのことも。これからは同じヲタクとして、よろしくお願いします。
そしてそして、いつかすっごく可愛いTシャツを見つけたら、見せにいこうと思います。きっと何にも喋れないけれど。