9週目
10/28
月曜日、そういえば毎週この曜日に日記を投稿していることを思い出して久々に書いている。文字を書く時間がないというよりかは、そこに割く体力や気力がないという方が近い気がする、そんな時こそ思考を文章に記録しておきたいのだが。ピアノの練習室のブッキングをすることがようやくできた。本当に嬉しい、2日後の午後13時から15時まで、チュートリアルの直後である。そういえば、Oxford Unionのメンバーとなったのだが、受け取ったカードがすでに剥がれかかっている。確か平日の午後16時まではオフィスが空いているはずだから再発行してもらえるか聞きに行ってみる。
10/29
我々が普段行っている行動に違和感を感じることは少ない、歩いたり、右手で箸を使ったり、日本語を話したり。しかし例えば右手と右足を同時に出して歩こうとしたり、左手で箸を使おうとしたり、他の言語をを話そうとすると途端に上手くできない。これは脳にその行動、思考を支持する神経回路が育っておらず、そしてそれらの行動を実行する筋肉が育っていないからだと考える。テニスで例えるとわかりやすい。私は右利きで、サーブやストローク等は右手依存である。その上でサーブのトスは左手で行い、バックハンドは両手で打つ。それらの行動に一切の違和感を感じることはな苦行うことができる。しかし、これらを普段の逆の手で行おうとすると。途端にできなくなる。左手でストロークは全くできないし、右手でトスを上げることはものすごく違和感を感じる。そして、私はこの違和感というものが言語においても全く同じものであると考えている。言語というものを学ぶ上で、違和感というものと向き合っていかなければならない。結局私は人間であり、筋肉、血、骨、から成り立ち、ニューロンが信号を送り合うことで思考し活動を行なっている。その上で、新たな言語というものは我々にとって左手でテニスをするようなものなのだ。これまで慣れ親しんできた日本語というものが存在している中で、全くもってわからない言語を認識しようとし、言葉にしようとすることはそれこそこれまで使ってこれていない筋肉や神経回路を使おうとしているのだと思う。それらを鍛えようと思うとものすごい違和感が生じる。けれども、それは日本語を母国語として会得する際にも、右手でテニスができるようになるまでのプロセスでも必ず経験してきた違和感である。その違和感というものを無理やり何度も繰り返し経験することで、その領域におけるそれまで薄く、細かった神経回路が徐々に太くなり、一度に遅れる信号の量、情報の数が多くなり、それらをなん度も繰り返すことで違和感なく信号を送り合うことができる回路が形成されるのだと思う。家庭教師をしている。その中で生徒たち全員に毎日必ず30秒のシャドーイングの提出を求めている。完璧な30秒である、発音、タイミング、イントネーション、抑揚、表現等。全てにおいて完璧にコピーした30秒の提出を課題としている。耳からの情報のインプットそして口でアウトプットの繰り返しで新たに神経回路を生み出しそこを何度も反復トレーニングすることでいわゆる英語脳と呼ばれるものを生み出すことができると思う。書くの疲れた寝ます。
11/2
気づいたら11月に入っていた。時間が経つのが早い。つい先日、経済学を2つ目の専攻とすることをDepartment of Economicsから了承を得た。というのも、オックスフォードでとっている単位をうちの大学のアドミッションオフィスが認めてくれたため、無事単位を専攻に計上することができることが確定したからだ。おかげさまで来学期の授業は二つのdegreeを得るために必須クラスを多くとらなくてはならない、来学期のことは来学期の私に任せたい。とにかく、少しずつだが、先に進んでいる。この前も会社との面接があった。久しぶりに全て英語での面接だったがこれまで受けてきた面接の中でもずば抜けてうまくいっていたのを感じる。少しずつ大人が近づいてきている。