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レモンの花とペットロス
友人がくれたレモンの木に、白い花が咲いた。レモンの花は、蕾がピンク色で、開くと白くて可憐だということを、初めて知った。
梅雨を控えた植物たちの生命力は素晴らしく、ふと気づくと、新たな芽が出ていたり、茎がぐんと伸びていたりする。そうした小さな風景を目にすることが、自粛期間中は無上のよろこびだったのだが、先週以来、気持ちがダウン気味だ。
初回の投稿でもチラリと書いたのだけど、飼ったばかりのコザクラインコが家に来て10日で命を落としてしまった。泣きすぎて吐いたりと、息子の悲しみようは目を覆うほどで、夜になるとまたシクシク泣いている。「ちょっと大げさなんじゃないか」なんて失礼ながらはじめは思っていたのだが、息子が少しずつ悲しみを癒していくのと反比例して、私のペットロスはボディーブローのようにじわじわと効いてきた。
雛が死んだ理由がどうしても知りたい
なぜ、雛は死んだのだろうか。
私はそれから雛の死因を検索しまくり、似たような例が書かれたブログやYahoo!知恵袋を読み漁った。まさに、寝ても覚めても。眠る前はもちろん、起きたらすぐに検索。我ながらちょっと異様かなと思いつつ、やめられない。
それで分かったのは、雛には30度近い温度設定が必要であり、餌は40度をキープ、かつ、喉の先にある「そのう」という器官に注意せねばならなかったということだった。
食欲がないと思ったら、とにかく温めて、病院へいくべし。あの日は日曜日だった。
なるほどなるほど、そうだったか。雛を入れていたケージの近くの温度計は、大体22度から23度だった。10日の間には、極度に冷えた日が2日くらいあった。ケージの下にヒートマットは敷いていたけど、あれでは足りなかったのだ。湯たんぽなどを立てかけておくべきだった。
同時期に、二羽のボタンインコをお迎えした友人は、「(一羽では)寂しかったからじゃない?」と言ったが、そうだったろうか。コザクラインコは一対一の愛情を求める鳥種。だから二羽で飼うのは難しいよ、とペットショップで言われたのだけど。二羽いれば、体温を分け合えたのだろうか。
理由がなんとなく分かってくるにつれ、私は毎日胸焼けするようになった。更年期かな、とあまり気に留めていなかったのだけど、あれっ、これっていわゆるペットロスというヤツなのでは?と思うようになった。
鳥の声がすると振り向いてしまう。夜中にも、空になったケージから気配がするような気がする。いるわけないのにケージを覗いて、不在を確認すると同時に涙。山崎まさよしの『one more time,one more chance』が脳内BGM。ちなみに息子はキリンジの『スウイートソウル』を聞くと雛を思い出して泣けるらしい。人それぞれですね。
SNSで他人の元気な小鳥を見ると、むらむらと、嫉妬に近い感情が湧き上がる。小さいなあ、私ってと思いながら。
ペットロスを舐めたらあかん
気晴らしに散歩に出て、ベンツのショールームへ行った。ベンツがほしいわけじゃなくて、ここに毎年素晴らしい花をつけるバラの木があるからだ。ペットロスを癒すには、植物に限る。
バラを眺めながら、大声で、世の中に対して謝罪をしたい気持ちになった。
正直言って、ペットロスがこれほどキツいものとは、50を目前にして、初めて知った。しかも、私の場合、たったの10日しか一緒にいなかった、小さな雛。こんな短い期間の、あんな小さな生き物との別れがこれほどに辛いとは。これが犬や猫だったら?10年、20年共に過ごしたペットだったら、もう立ち直れないかもしれないな、と震えた。
もちろん、子どもの頃から何度も犬を飼っていたし、何度も別れを体験した。でも、それらのペットは、やはり親のものだった。子である私は、気まぐれに世話をしただけだった。思い入れが違う。
「ペットロス」なんだそれは、と思っていた。かわいがっていたペットを亡くし、長く悲嘆にくれている友人知人たちを見て、そんなに悲しみが続くものかなあ、などと、本当に失礼ながら思っていたのだ。
この場を借りて、深くお詫びします。申しわけありませんでした。私はペットロスとは何かを知らなかった。これは体験してみないとわからない心理。感情に縛られて、自分ではコントロールできない状態に陥るんだと、初めて知ったのだ。
shoku-yabo農園で山ランチ
緊急事態宣言も解除され、いよいよ小学校も再開される、その前に、子どもたちをパーッと遊ばせようと、友人とともに、横須賀のshoku-yabo農園へ行った。
新緑は終わり、緑が濃くなろうとしている。あちこちで鳥の鳴き声がして、気持ちがよかった。
さあ、これからまた新しい生活が始まる。
小さな命の大きさを教えてくれた雛に感謝をして、前進あるのみ。
Shoku-yabo農園にある古いピアノ。