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【日記】Xを消した次の日

25歳も残り2日だというのに、散々な1日を送ってしまった。
午前中はベッドの中で何かに怯え続け、
トイレに籠っては安心した。
午後は何をしていたか記憶が無い。

昨日、思い立ってXをアンインストールした。
持っていたアカウントも全て消した。
神経を剥き出しで生きている私には、あの頼んでもいないのに膨大な情報が流れ込んでくる空間は刺激が強すぎた。
魅力的だった空間が、知らず知らずのうちに自分を消耗させていた。
でも、何年もかけてすっかりその情報過多に慣れ切っていた私は、Xを消したことで安寧を手にしたのかと問われれば、冒頭の通り心身のバランスを崩した。
情報の暴力に苛まれていた反面、自分の頭や心に渦巻くものを手軽に捨てられる場でもあったと、今になって気づく。
強烈な刺激ばかりに目を向けて、その陰にあった憩いの場に気づけなかった。

朝起きて、圧倒的な情報の少なさに私が困惑してしまったのだろう。
今までが過多だっただけなのに。
手軽な吐き出し口を失ってしまった喪失感の甚大さも否めない。
私は手放してしまったものを度々夢に見る程、「失ったもの」への執着が強い。
とは言え、今まで当たり前に有ったものが突然無くなったらバランスがとれなくなるのも当たり前、と開き直ってみる。

そのうち慣れるよ。
今回は、自分で選んだ「変化」
情報を自分で採りに行って、自分で取捨選択する環境に身を置くことを、自分で選んで決めた。
今の私には不便なくらいが魅力的に見える。

散々な日はもしかしたら思っている程悪い日ではなかったのかも。

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