もたないくらし
最近、昔からの友達に会って話題になるのが、うちの家のシンプルさだ。「もう、キレイすぎてびっくりするよー。」と褒められるのだが、なんだか自分的には釈然としない。キレイというよりも、モノを増やさないようにしているだけなんだけど・・・と反論したくなってしまう。
しかし、どうやらこのモノを増やさないというのは、自分の特技であり美意識であるということに、まわりからの反応でようやく気がついてきた。それにしても、なぜこのようなスタイルになったのか。友人からもきっかけは何かと尋ねられるが、いつも答えに困窮してしまう。思い返しても、決定的な出来事はどうも特定できない。が、もちろんこれまでの様々な出会いが今の自分を作り上げたのだろう。少し、そのシンプルな生き方に対する価値観の変容を辿ってみたいと思う。
きっと初まりは大学時代。バックパッカーで東南アジア旅行に出かけたことだった。親に内緒で、バックと身一つで世界に乗り出すという旅に、なんとも言えぬ高揚感を感じたのを覚えている。その旅で、明日の予定はその時の流れ、今日は今という瞬間を存分に楽しむという旅の醍醐味を初めて知った。それは、日々新しい価値観に触れ、古い自分を脱ぎ捨てるという、常に命に新鮮な空気を送り込むかのような神聖なものとさえ思えたのだ。
そこから、旅に夢中になり、留学の下見で行ったはずの2ヶ月のイタリア滞在も、ワーキングホリデービザで行った1年間のオーストラリアも、基本姿勢は最小限の荷物で旅をするということにこだわった。結局大学時代は、勉強はそっちのけで15カ国程度をバックパック一つで放浪した。
なぜ、最小限の荷物にこだわるのか。それは、はやりしがらみが少なくなるからである。荷物は多ければ多いほど、移動に負担になり、さらにメンテナンスの必要がある。旅で一番心配なのは、盗難である。バックパック一つであれば、自分の手元に置くことができるが、大きなトランクではそうはいかない。大きな荷物によって、自分の行動が制限されてしまうのである。それに気がついてからは、旅行中でも積極的に荷物を減らした。スーツケースで行ったにも関わらず、それを売り払ったこともあるくらいだ。そうしていくうちに、本当に必要なものはごくわずかであるということに自ずと気がついていったのだろう。
やがて、就職し東京で暮らし始める。東京は何せ家賃が高い。そのこともあって、最初に借りた部屋は大学時代に福岡で住んでいた借家よりも、さらに小さな部屋だった。そこで、最低限の家具をそろえ、100円均一のグッズを駆使し、新しい生活を始めた。購入する上で一番困ったのは、洋服である。社会人として、ふさわしい服装がよくわからないまま、毎週どこかに買い物に出かけ、買っては首をかしげ、そしてついにはタンスの肥やしになり・・・という土壷にはまってしまい、借金はみるみるふくらみ、そしてついには仕事に疲れて鬱になってしまった。部屋には、着散らかされた洋服と、コンビニ食のゴミが散乱し、足の踏み場もないという惨事にまで陥ってしまったのだ。
その後、転職を繰り返し、場所や付き合う人を変えては、自分の持ちものについて悩み、常に満たされない思いを抱えたまま、目の前の仕事に追われるという日々を送っていた。
そんな自分を客観的に見られるようになったのは、貴金属の会社に勤めたことがきっかけだったように思う。ジュエリーについては、それほど興味がなかったにも関わらず、対アジアとの海外取引の部署に入れるという理由で、転職を決めてしまった。メールでの受発注を英語でやるんだろうなくらいに思っていたが、実際には商品の個数を数え、梱包するところまで請け負った。工場からは、毎日全く同じチェーンが2000本、同じ指輪が500個、加工したダイヤモンドが50個と、まるでネジか釘のような扱いで届く。ジュエリーといえども、そこに誰からもらったとか、ご褒美に自分で買ったとかいうストーリーがないとただのモノなのである。いやただのモノといっては、申し訳ない。自然からわざわざ掘り出してきて、人間はいったい何をやっているのだと、情けなくなってしまう始末だった。そして、自分もその一連の経済活動に加担していることに、いたたまれなくなってしまい、もういてもたってもいられず、会社の外に救いを求めたのである。
そんなタイミングで、「トランジションタウン」という市民活動に出会う。これは、ピークオイルと気候変動という危機を受け、市民の創意と工夫、および地域の資源を最大限に活用しながら脱石油型社会へ移行していくための草の根運動だ。それの活動との出会いをきっかけに、NPO活動にのめり込んで行った。チェンジ・ザ・ドリーム(http://changethedream.jp)と言って、環境的に持続可能で、社会的に公正で、精神的に充足した生き方を実現する啓蒙活動である。その活動をすること自体が、自分の枯渇しそうな精神的欲求を次第に満たしてくれた。それは、自己完結での自己実現を超えたところに、幸せを感じている自分に気づかせてくれるきっかけとなった。
さらに、ありがたいことにそのNPO活動で知り合った人の紹介で、新しい職につくことができた。小学生から高校生までを対象とした、寺子屋的個人指導の塾である。人の精神的成長に関わる仕事がしたいと思っていたものの、こどもたちとも教育とも今まで全く接点もなく、最初は躊躇した。だが、きっとこれは何かの思し召しなのであろうと思い、その流れに乗ってみるという選択をとった。そうすると、今まで自分をがんじがらめにしていた、自分はこうありたいという狭い自我がみるみるうちにほどけていって、ありのままの今のままの自然体の自分になることができたのである。これは、あの旅の醍醐味を初めて知った時のような、自分にとっての大きなパラダイムシフトだったのかもしれない。自我を超えて、もっと大きなものの意志の流れに身を任せたとき、とてつもない開放感を実感できることができた。
そんな大きな流れの中にある自分の人生を見る時、やるべきことはとてもシンプルで、そして自分はやるべきことがわかっているという根拠のない自身をもつことができる。それが、自分の揺るぎない軸となっているのであろう。その軸を持つか持たざるかが、生活におけるものさしの有無に関わってくる。自分のものさしを持っていると、モノも天秤に掛けやすくなるのである。だからこそ、モノに振り回されず、自分のやるべきことにエネルギーを注力できるのかもしれない。
偉そうなことを言っているが、私はまだそのエネルギーを注ぐべきところへの、スタート地点に立てたばかりである。