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社会不適合はお洒落な音楽を奏でる
<この文章は2020年の夏に作成したものです>
I am 社会不適合者
お金が無い。それを何とかするための時間もない。
将来に不安を抱き過去を恨む「ほぼ詰み」状態で、それでも今を生きなくてはならない。
余裕がなくなっていく。余裕がなくなると、将来の見通しができなくなってしまう。見通しの無い不安に、より余裕がなくなっていく負のループが始まる。
だんだん思う。「生きていて意味あるの?」
それを考えてしまうってことは、生きていたいってことよ。
人生が音楽だとすると
人生に余裕がなくなってくると、周囲が暗く、見えなくなる。
絶望=狭くなったスポットライト
ピアノに例えると、普段はながーく見えていた鍵盤が、状況が悪くなると、そのとき気まぐれに当てられたスポットライト分しか見えなくなる。
それは一本指分かもしれない、かろうじて和音の弾ける3本指分かもしれない。
とにかく、以前は見えていたような長い範囲まで見えなくなってくる。
しかし、スポットライトを広げてみると。
ちょっとやそっとのミスはむしろ「おしゃれ」として認識される。
一本指だと「変な音」だと感じる、黒鍵盤。
凹んでる時はスポットライト的にピンポイントしか見えなくて、せいぜい3本指のなかで限界を感じがちだけど
実際に存在するのは長ーい長い鍵盤。
その鍵盤のハーモニーの中で、黒鍵は不協和音を奏でる。
ただの「不協和音」だと「変」だとしても、曲の流れで使われてみよう。
明るく単調な曲、流れてくるそのほとんどが「正統な」コード、聴いていて心地は良いが、徐々に飽きてくる。
そんな時に一部「不協和音」が使われると、「あれ?」という違和感とともに、曲がぱっと華やぐ。
死にたみは未来のお洒落
今の死にたい気持ちは、そのおしゃれな不協和音のためにあるのではないか、とも思える。
長ーい長い鍵盤が見えた時に「あ、おしゃれだったな」って思える日がきっと来る。
長い人生を振り返ったときにそれがお洒落で有ることを祈りながら
今日も絶望に耐えるよ。