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なぜ幸せなのに死にたいのか?
私の出身国「あちらの国」で
手足の切られた人間が、ひたすら頭を下げていた。
小学生の頃ながら、変だと感じた彼らを
興味深く見ていると、大人から「見るな」と言われ
「彼らは何?」と聞くと
「お金をせびっている」と答えた。
「なんで手足がないの?」と聞くと
「事故か何かで失った」と答えた。
「手足がないのにここまでどうやって来たの?」
「いつもどうやって生活してるの?」
「本当にこれしか仕事はないの?なんとかならないの?」
そこまで聞く頃には、彼らは若干イライラしだし、
案の定
「考えすぎだ、知るかそんなの」
「自分のことだけ考えてればいいんだよ」
そんなことが返ってきて、私は会話を諦めた。
「ごみ収集」ときくと思い浮かぶのは
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でも、あちらの国では
![](https://assets.st-note.com/img/1729958685-MU75W4ecaQhPskyER9fB2IGi.png)
「ちゃんと勉強して良い子にしないと、みんなこうなる」
そう聞かされていた私は、一生懸命勉強した。
人の顔色をうかがって、ずっと、良い子であろうとしていた。
つらかったけれど、ゴミを拾って人生を終えるなんて。
小学生時代から20年後、あちらの国へ先日行った。
私はすでに、
・手足がない人間に「だるま人間」と名がついていること
・事故ではなく、見世物として拉致された人間の手足を切断されたこと
を知っている。
こどものころから、ずっと怯えていたと思う。
だるま人間は、もうあの公園にいなかった。
ごみ収集は、別に早稲田大学などいかなくとも
よっぽどなことがないと可能性がないことも
ようやく理解できるようになった。
小さい頃に植え込まれた教えの根深さを知る。
昔だるま人間がよくいた公園では、
いつのときもお年寄りが駄弁り
歌を歌ったり楽器を弾いたり
絵を描いたり水で道に書道をしたりする。
Youtubeにあがっているものよりも上手。
それを無視して踏んで歩いていく。
タレンテッドが
たまたまここで生まれたことにより
「ただのなんでもない人」になる。
親戚たちと
あまりに価値観が合わなくなったため
無言でいたけれど、
耐えかねて質問をすると
「文ちゃんはいつも考えすぎてる」
「普通悩みの8割はお金でしょ、あなたは恵まれている」
「保証されているのだから、他に何を悩む必要があるの?」
そういわれて、その背景に色々なものがみえて
「ごめん」と微笑むしかなかった。
警察も、病院すらも、ろくに機能しない。
気に入られなければ、簡単に淘汰される。
★★★
飛行機から日本に降り立つと、
いつも生ぬるくうす甘い空気を吸うことになる。
ここには、人を攫ってだるま人間にするような人はいない。
ごみ収集にもスケジュールがあり
才能はきちんと評価される。
警察や病院は少なくとも仕事をまっとうしてくれる。
のどから手が出るほど欲しかった文明。
安全で、快適で、豊かな暮らし。
「なのに、なぜ??」
想像では、もっと幸せに生きられるはず。
しかし、朝の通勤電車の空気は?
自分で道を選べる、才能を活かせる
なのになぜ、みずから囚われようとするの?
その下に、何千、何億の人間がいて
必死に築いた文明の結果なのに…。
あちらの国へ降り立つと、
スパイシーな香りただよう
厳しさ、いつ死んでもおかしくない匂い
それは赤っぽく、壁に描かれた汚い言葉
我先にと目立とうとするネオン、埃
そのひとつひとつが、
むしろ希望となっていたことを知る。
希望、なんて言葉に、簡単には出来ないような。
そしてその光を忘れないように
自分から、恐怖の淵へと立ちたがるのかもしれない。
トンネルから見える光は強いけれど
いざトンネルを出ると目が慣れてしまう。
連日、ずっと欲しかった真実が
急に湧いてくる。
なぜ精神疾患が淘汰されないのか?
なぜ人々が自己中心的(に見える)のか?
なぜあちらの国の人は誰も話を聴いてくれないのか?
少しずつ解明できる、兆しがみえている。