何がしたいか忘れて
何がしたいのか全くわからなくなった時期があった。
今ならわかる。
そんなときは、「みんながしたいと思うことを目指せ」と。
お金でもいい、レベルの高い組織への所属でもいい
どんなに俗っぽくて、崇高でなくて
汚く思えたとしても
ドロドロの感情に身動きが取れなくなるよりは。
そもそも私たちは遺伝の器にすぎず
使命なんてないことのほうが多い
そんなときに、みんなの真似をして、
それで死なないのであれば、
デメリットが一個もない。
万が一、その中でどうしてもやりたいことが見つかれば
それらを捨ててでもいつの間にかやっていることがあれば
それが「したいこと」に他ならないでしょ。
凄くレベルの高い社会的に認められることを目指して
それが達成されて
君の気持ちが良くなれば、それがベストだ
君の気持ちが良くならなければ、
安心感を得た上で
何かが違うんだ、とそこで初めて君ならではを詮索すればいい。
達成されなかったら
失敗材料を持ち帰った上で
何かが違うんだ、とそこで初めて君ならではを詮索すればいい。
そこで自分ならではが見つからないということは
サボるための言い訳として、
使命がどうとか言っているだけだ。
金にならない御託は、一生御託のまま終わっていく。
君はそれでもいいと意気地になるだろうが、
ちょっとイタいのに気づいて
でもそれに気づかぬふりをする。
自分に素直になれない癖がついてもいいのか?