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期待される苦しみ,期待されない悩み

「どうせお前なんて」
そう言われて育った子どもは
自信が薄れ自己決定ができなくなるという

きっとつらいと思う

「さすがあなた」
と言われ続けた私は
まだ小学生にならない頃から
自分で意思決定を

初めて行く場所だとしても
勝手に先頭歩かされ
間違えたら後ろの人たちに文句を言われる
人生にGoogleMAPもないので
感覚を研ぐ必要があった

「ごめん、間違えちゃった★」
そういう神経を身に着けたのは最近で
昔は一動作ずつ緊張していた

なんていうと嫌味に聞こえるかもだけど

期待されない苦しみのほうがきっと
たしかに苦しいと思う

世を見ていても
虐待や、ネグレクトなど
尊重を欠いた態度による損傷のほうが
きっと大きいのだと思う

私はでも、本当は、本当に
期待されたくない。

でも、期待されないともう
アイデンティティ的に本当の自分じゃない
そう認識してしまうようになるほど

期待されるごとに、
立場上言えないことが増えていく
心から楽しめることも減っていく

だから、できれば偉くなりたくない。

けれど、世界が本当に悪い方向に傾く場合
一体誰がそれを正すんだろう

その時世界は
前じゃない道を、前だと思って
死へと人が溢れる


いつも思う

実は、今までで大切な人と離れる理由が
相手の意思決定力の低さにより
おそらく期待されない人生を
歩んできたのかなあということによる
羨ましさ

なんとなくで生きてOKだったんだろうなあ

羨ましくて、羨ましくて、泣きそう
というか、道端で泣いたことも
何度かあった

後ろに誰もついてこない人生がよかった
例え人から軽視されようと
自由にやりたかったんだ、本当は

そう気づくたび目頭が熱くなる

いつもそんな調子なので
さすがにまずいな、
と思って、究極に
「なんとなく」で自由に生きる
現在に至る

これから、一個ずつ荷下ろしできたらと願う

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