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日本語が美しすぎるがゆえに

新元号「令和」。響きが綺麗で、個人的には気に入っている。出典が万葉集と聞いて、ふと学生時代に歌人、佐佐木幸綱先生の講義を受けてえらく感銘を受けたことを思い出した。

百人一首をはじめ、和歌を現代語訳で読む講義であった。それは随分前の話ではあるが、「虫の音」という言葉が出てきたときのことをよく覚えている。私たちは、遠い昔から、それこそ万葉集かその遥か以前から、自然の、そして虫の音(ね)に耳を傾け、表現する感性を持っていた。

コオロギと鈴虫の音を聞き分け、時にはそれを虫の「声」として、私たちはさまざまな表現を駆使して詠み、言葉にすることができる。りーんりーん、のように擬声語もたくさん持っている。そのような風流なDNAがあることを誇らしく思った。

来ぬ人を 秋のけしきや ふけぬらむ 恨みによわる 松虫の声
(寂蓮法師、『新古今和歌集』収録)

例えばこの歌は、晩秋にもう来ない人を待ち続けるつらさと、松虫の声を重ねている。もう現れない人を待つ恨みが積もり、松虫の声が弱くなってしまった、と詠う。たった一行の歌なのに、情景が浮かんでこないだろうか。何百年も昔の景色に気持ちが寄せられる。

今こそ和歌を奥さんや恋人に詠んで聞かせたら、さぞ感動されるのではなかろうか。オリジナル作品なら尚更良いが、既に素晴らしい歌がたくさん存在する。例えば、こんな歌を贈ってみてはどうだろうか。

忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな
(儀同三司母、『新古今和歌集』収録)
ずっと忘れない、という言葉はとても嬉しいけれど、そんな遠い未来のことは分からない。それであれば今の幸せな気持ちのまま、死んでしまいたい。

ところで、このように日本語と、その歴史に感銘を受ける一方で、この表現の豊かさが外国語を習得する難易度を高めているような気がしている。

私たちは英語を話す際、一旦日本語から変換しがちであるが、このときに「あれ? これって英語で何ていうんだろう」と詰まってしまって言いたいことが言えないことがよくある。

例えば和歌になぞらえて「秋も深まって、我が家の庭は鈴虫のオーケストラで賑やかです」と英語で言いたくても、そもそも表現する語彙が存在しない。鈴虫も、コオロギも、英語ではCricketまたはInsectになるし、虫の音はNoiseが一般的なので、何とか頑張って表現しても、聞き手からすると「この人は何を言っているのだろう? Noise from cricketsのオーケストラ??」となりかねない。

言葉を話すときは脳内変換作業をやめて当該言語の脳で話さないといつまで経っても流暢に話せないということが分かる。英語圏の人に虫の音に耳を傾ける文化はあまりない。英語を話すときは、英国人や米国人になったつもりで話さないといつまで経っても伝わらない。

先の「令和」は英語ではBeautiful Harmonyと表現されると言う。私たちが「令和」という文字と響きから受け取る印象と若干異なるのではないだろうか。また最近、「矜持」という言葉を英語にして相手に伝えたいと思う機会があった。自信と誇りを意味する言葉であるが、その裏には自分を抑制するという意味も含まれる。いかにも日本人らしい言葉である。結局これもPrideの一言で終わってしまう。

改元をきっかけに、日本語と英語の大きな溝に気づく。日本語脳のままでいると、いつまで経っても英語や他言語が話せない。仮に私たちが「令和」や「矜持」、「虫の音」の意味を英語や他の言語で伝えたいのあれば、背景も含めて丁寧に説明をする必要がある。これは言語や文化の優劣や美醜の話ではない。文字の点で言えば、表音か表意かの違いもある。英語には英語の美学があり、綺麗に話せると端的で数学的で、美しくなる。

さはさりながら、やっぱり日本語は奥深い。元号という文化もとても良い。


追伸

noteを始めて3ヶ月が経過しました。いつもたくさんの方に読んでいただき本当にありがとうございます。

3ヶ月間で約30の記事を投稿しましたが、一つひとつに深い思い入れとストーリーがあります。noteを始めなければこのようなエキサイティングな経験もなかったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

改めてnoteは繋がりが意識されたプラットフォームであると実感します。「書く/描く」「読む」を通じて世の中の事象が自分事になります。自分のフィルターを通して表現されたものが、note上だけではなく、日経新聞やTwitter、イベント、そして人によっては収入に繋がっていきます。こうして世の中と自分が繋がっていくことで、自分自身の考えや表現が磨かれるという良いスパイラルを生み出しています。

実際に繋がりを生み出したnoteについて紹介します。

①note投稿数時間後にピエール瀧が逮捕される

インドで仕事をしていたときの苦しい体験をベースに渾身の思いを込めて以下のnoteを書き上げました。本noteを書くきっかけは、電気グルーヴの石野卓球と関西電気保安協会のコラボレーションのPVを観たことで、noteの中でも触れています。遊び心を地で行くアーティストと言えば、石野卓球とピエール瀧のユニットである電気グルーヴの他に知りません。note投稿の数時間後にピエール瀧が逮捕されたので、ものすごく印象に残っています。

②日経新聞の紙面に載る

note上で違法ダウンロード法案について提言めいたことをコメントしたら、なんと日経新聞の紙面で取り上げていただきました。通勤の電車の中で何気なく日経新聞に目を通していたら自分のコメントが載っていたので驚きました。noteをやっていなかったら、一生紙面に名前が載ることはなかったでしょうから、嬉し恥ずかしい気持ちになりました。ありがとう、note! COMEMO!

③Twitterで知らない人に褒めてもらう

noteのみならずインターネット上でも極端に投稿の少ないアンダーグラウンドな音楽について投稿したところ、おそらくファンの方が話題にしてくれました。noteの場外で話題にしてもらえるのは嬉しいです。

④日経電子版の一面にたくさん記事が載る

noteを始めるモチベーションが、「いつか日経電子版の一面に載せてもらう!」でしたが、まさかいくつも記事を日経電子版一面にピックアップいただき、ものすごくやる気が出て、自信にもなりました。#COMEMOに投稿される記事は、第一線で活躍する経営者やビジネスマンの投稿が多く、勉強になり刺激を受けます。私自身は今日取り上げた和歌のように、読む人の心に情景が浮かぶような記事を心がけて書いていきたいなと思います。ハッシュタグ#COMEMOと付けると、日経新聞の方がチェックしてくれます。以下がこの3ヶ月で取り上げていただいた記事です。

⑤素晴らしいnoteに出会う

この3ヶ月間でいろいろな素晴らしい、読んでいて楽しいnoteに出会いました。いつかこういう記事を書きたいというモチベーションと指針になっています。そんな素敵なnoteを紹介します。

本当にそうなっていそう! すごい創造力。

ビジネス x アートについて抱いていた違和感が見事に言語化されています。

毎回楽しみです。

今後のご活躍にとても期待しています。

他にもたくさんあるのですが、また次回紹介します。

改めて、エキサイティングな日々を提供してくださった読者の皆様、クリエイターの皆様、そしてnoteと日経新聞(COMEMO)の皆様には大変感謝しています。

最後まで読んでいただきありがとうございました!
今後ともよろしくお願いいたします。

2019年4月6日

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ぐっさん|ICT Saves the World
いつも読んでいただいて大変ありがとうございます。

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