【残酷な真実】「働かざる者食うべからず」の現代的呪いについて。
古くから「武士は食わねど高楊枝」や「欲しがりません勝つまでは」などの【我慢の美学】が日本には定着している。
同じように「働かざる者食うべからず」と言う言葉もある。
「外国人が『日本人はよく働く。』と言っている。」
これを聞いて嫌な気持ちになる日本人は恐らくいない。
誇りに思う人もいるだろう。
その認識は間違ってますよ?
誰も褒めてませんから。
働くこと自体は生きていくために必要なことではあるが、働くために生きているわけではない。
もう一度、よく考えて見てほしい。
豊かに生きるために、働くことと云うのは手段のうちの一つでしかない。
◎味わった事のない、美味しい物を食べる。
◎行った事のない土地に、旅行をする。
◎今まで欲しかった服や、家電を買う。
◎愛しい家族や恋人と、ともに過ごす。
これらはお金がなければ成り立たない。
だから働く。
でも、「働く」の次がない。
働いたあとはどうするのか。
使ってしまう。
使ったらなくなってしまう。
だから働く。
その繰り返しを続けていく。
貯金もいつかは使うのだからなくなる。
何故、働いて得たお金で、働かなくてもお金を稼げる方法を真剣に考えないのだろうか?
それは何かしらの罪悪感があるからだ。
「働かざる者食うべからず。」
まるで働かない限り生きていけないような言葉だ。
戦時中はそうだったのだろう。
しかし、和暦も令和に変わった現代ではどうなのだろう。
いかに働きを少なくして多くのお金を稼げるか、不労所得とまではいかなくても、効率よくお金を稼ぐ方法を考える事ができない思考回路になっていないだろうか。
「働く事」と「お金を稼ぐ事」は、似てはいるがイコールではない。
「守銭奴」と云う言葉もあるように、お金に執着することはあまり良くない風に呪いをかけられているのではないだろうか。
資本主義経済の中で生きていく上で、お金が1番大事なのにお金の話をすることはタブー視される。
この呪いは誰がかけたのか?
そこまで働かずにお金を稼ぐ事は悪いことなのか。
自分の代わりに誰かに働かせて利益を得るのは悪いことなのか。
本当に汗水垂らして稼いだお金が一番素晴らしいのか?
単純労働の今よりお金を稼ぐには、【いかに自分は楽をして、利益を得る】方法を真剣に考えた方がいい。
もし、この言葉に嫌悪感や罪悪感を感じたのであれば