日常言語


例えば、「限りなく近く」という日常語はわかりやすいのだが、厳密にいうと曖昧である。このために数学では論理的に厳密な定式化をする。

もともと「限りなく近づく」という表現がなかったら数学もこの点で厳密な思考ができなかっただろう。

同様に、論理学は日常言語の曖昧さを指摘するのに熱心だが、しかし、日常われわれが使用している言語が存在して初めて論理学もできてくるのだ。

ちょうど、応用技術が先にあって、理論が後についてくるという現象も同じことの例である。

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