言葉を発する恐さ
※はじめに
今回は重い内容になっております。
心身の調子がよくない方は
スルーされることをすすめます。
↓今回は目次を作りました。
母から放たれた言葉の刃
小学1年の時に
母から放たれたある言葉…。
全身に…あらゆる細胞に…
刻まれ…
血液に溶け込むように
言葉は凶器にも毒にもなる。
当時はこんな風に思うことなく
ただただショックで
自分の中から何か大事な核みたいなものが
抜けていくような感覚で
リビングから2階に歩いた記憶が残っている。
ちなみに父は手脚が出る人で
思い通りにならないと周りや物に攻撃する
とだけ今回は綴っておきます。
余談として
夜泣きが酷かったり
左→右利きに矯正するのに
時間かかったり
周りの子に比べると上手く道具が使えなかったり
ひとり遊びばかりしてたりと
問題行動があり。
4年前に発達障害だったことがわかり
親が苛立つ心境も今なら理解できる。
一度放った言葉は消えない
けど…
一度存在を否定することを言った言葉は
消すこともできないし
元のような関係性には戻せない。
許すつもりもない。
それは昨今のSNSにも
言えることだと私は思う。
一度公開したら、一生もの。
デジタルタトゥーの怖さ。
1つの投稿では
伝えきれないこともあるのに
そのほんの一部の切り抜きだけが
ひとり歩きで拡がってしまう。
受け取る人の性格、育った環境、置かれてる状況など
同じ言葉でも捉え方は違ってくる。
言葉の難しさだなと。
多様性…
これも単語だけが浮き足立ってるように
感じることも正直ある。
配慮して!の気持ちもわからなくもない。
自分も似たような心境を通過しているので。
でもこれはこれで違う気もする。
それも一方向からの発信であるから。
私もSNSを通して演奏動画や
noteに記事をアップして発信している。
もしかしたら誰かを追い詰めたり
傷つけたりしているかもしれない。
と常に頭のどこかにある。
誰も傷つけないなんてことはきっとできない。
言葉の持つ怖さと重み。
記事も下書きをして何度か読み返し
基本翌日にも読み返し
アップするようにはしている。
※衝動性の特性がある為
私には価値がない
話は戻し…
鬱になるまで
ASDの要因もあるが
自分が発する言葉には
意味がない
価値がない
自分の気持ちを言葉にするのも怖くなっていた。
それでも生きていかなきゃいけない。
働いてお金貯めて
家から脱出し生活するも
当時はまだ連絡取り合っていたので
まだスッキリせず。
歳を重ねるにつれて
あの時に刺さった刃から
また刃が出てきて
毒が滲み出てくるような。
息苦しさを感じるようになる。
結果、精神的にも追い込まれ
鬱になってしまった。
原因もわかりそこで初めて
連絡も居場所も教えず
断絶する決心がつきました。
発信する身としての心構え
身体的な攻撃のダメージはわかりやすいが
言葉による精神的なダメージは
自分はもちろん周囲にも視えない。
私も人間なので弱さもある。
臆病さもある。
けれど多様性な社会
自身の経験で感じたことを
発信してもいいのかなと。
記事を読んで
あぁ似たような人いたぁ‼︎
みたいな人がいるかもしれない。
それでその方の気持ちが
少しでも和らぐのであれば。
言葉に救われることもあるから。
ただ、やっぱり、怖くなります。
でも、それでいいんだと思う。
真摯に怖さを忘れずに続けていきます。
発信する責任として
怖さを持っていることも
大切なんだと私は思う。
気分をどんよりさせてしまい申し訳ありません。
そしてここまで目を通していただき
いつも以上に感謝申し上げます。