F#9 雨の日の君
曇天の空。湿った空気がのどに詰まる。
梅雨空が私をまるごと包んでいる。意識がゆっくり遠のいていくかのようでどこか心地よささえ漂う。堕落というのはもしかすると、こういうことなのかもしれない。それは本人に考える暇さえ与えてくれない。
両手で机のふちを持ち、顔を伏せてうーっと唸ってみる。自分の声の振動が耳の鼓膜を震わせ、遠のいていた意識がこちら側に駆け足で戻ってきた。何度か唸っていたら、台所から書斎に入ってきた彼がうーっと唸り返してきた。うーっと言うと、うーっと返ってくる。まさかの展開を何度か楽しんだ後で、机にひれ伏したままの私は吹き出してしまう。
あぁ、良かった。晴れの日も曇りの日も、雨の日も。この人と一緒で良かった。
そう思って、顔をあげる。
彼の手にはガラスのコップが2つ。何の変哲もない100円ショップの小さなガラスのコップなのに彼が手にしているだけで特別なものに見える。水滴は黙って初夏を語り、氷の触れ合う音は私を静かに通過していく。いったいどこに行くというのだ。
麦茶はやっぱり麦茶だったけれど、さっきまでのどに詰まっていた重たい空気をそれはきれいさっぱり流してくれた。ボディボードに乗った小さな誰かが、麦茶という波に乗って私の中を降下していくかのようだ。胸がすっーと軽くなっていく。胃の中に冷たい麦茶の波が到達すると、今度はそれが全身に伝わる。細胞が喜んでいる。麦茶ごときにこれほどまで至福を感じるとは。
私にとっては日常のすべてが特別だ。
だって、私はこの人のためにすべてを捨てたんだもの。いや、捨てたというのはあまりにも人聞きが悪い。でも他に何と言おう。
雨が降るか降らないかという空を見て、あの日一歩を踏み出した時のことが鮮明に思い出された。あの日の空もこんなだったなと。
旦那と初めて離婚について座って話をしたときのことだ。
あまりにもそれはすんなりと受け入れられたため、かえって私に罪悪感を抱かせることになった。これで良かったのか、みんなを犠牲にして私だけが自分中心に考えているのではないかー。
旦那との話を終えた後でその重い空気が私にのしかかる。
新しい一歩にやっとスッキリできるはずだと思っていたのに、その思い空気はなかなか私の肩から降りようとしない。それどころか、隙を見ては私の心の奥底にまで侵入しようと企てているのがわかる。
でも私を助けられるのは、最終的に私だけだ。どんな時も自分を受け止めて、それでいいんだよと言ってあげる。そしてぎゅーっと抱きしめる。どんな時でも「あなたが正しい」と言ってあげる。
それからも何度かこの思い空気に押しやられそうになったが、そのたびに救ってくれたのは他の誰でもない、自分自身だった。
「It's started raining, baby. 」
ウッドデッキで庭の様子を眺めていた彼が窓越しに話しかけてきた。彼の優しい声を聴いて、ハッと我に返る。
砂漠にずっといて久々に雨を見た人のように彼は空を見上げている。そんな彼を見ていると、やっぱりあの時の「壁」は必要な壁だったんだと思う。
この週末は、子どもたちとご飯を食べに行く予定だ。形は少し変わったけれど、幸せは大きくなった。何が正解か?自分が正解だ。
いよいよ雨が本格的に振りだした。彼が肩をすくめてリビングに戻ってくる。私はタオルで彼の頭を拭いてあげる。
幸せだなと思う時は必ず、あの時の「壁」とそれを乗り越えた5年前の自分に感謝しているから不思議だ。
今日は2025年7月13日。
いつでも「今」が最高の瞬間。