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46万回のありがとう 1125 お金=自分? 違います。お金はありがとうの数です。

年齢に1万をかけた数のありがとうを言うと奇跡が起こるそうだ。
これはワタシの『46万回のありがとう』の記録。

お金がなくても大丈夫?

ありがとうを唱え
毎朝トイレ・玄関の掃除をし
ご先祖さまに感謝しながら神棚の水を替え
捨て活に励んでいたら
物事の見方が変わってきた。

娘の進学でお金とまた向き合うことになり
元夫とも話す必要が出たことで
色々考えたことがある。

元夫はいつもお金のことを言っている。

失うことそのものよりも
自分が人より損することを
結婚していた時から恐れていた人だ。

価値がこれからどうなるかより
目の前のこと、つまり
今この瞬間に増えるか減るかしか
見ていない人だった。

今の彼は彼で
株式投資で十分な資産を有しているのに
さあそれをどう運用するかと
いつも眉間にシワを寄せている。

お金がなくなったら
自分の存在がなくなるかのように
みんなお金の心配ばかりしている。

お金の心配の前に
お金がなくても大丈夫だと思える
マインドセットがまず大事だよな、と
乳がん検診の帰り道ひたすら考えるワタシ。

捨て活をして
自分の大切にしたいものがわかってくると
自分の生活は『余分』だらけだと気が付く。

本当に必要かどうかを考えるようになる。

余分を削ぎ落とすと
少ないお金、少ない物でも
大切なもの・人に囲まれていることこそが
幸せだと思えるようになる。

そうして毎日ご機嫌でいると
貯金がなくなってもなぜか
必要な時には臨時収入が入ってくる。

そして何故か頭の中で

「君はあともう3年ここに住むよ。」
「次のことはお任せあれ。
望んでいる土地の神様と相談しておく。」

と奇想天外な言葉がよぎる。
ここの土地の神様だという。

人間生活は矛盾だらけ。

毎週、彼はワタシに
ツナステーキを焼いてくれる。

プロテインとオメガ3を摂るために
彼が1年近く続けてきた習慣は
いつの間にか2人の習慣になった。

こだわりのある彼は
ワタシに美味しいツナステーキを
食べさせるために
フライパンを3つも新調した。

テフロン加工が体に悪いと
体に害のない鉄製のフライパンと
セラミックのフライパン、そしてその中間の
ハイブリッドフライパンHexcladなるものまで。

昨日食べたツナステーキは
外側カリカリ、中ふっくらで
今まででベストだった。

今後もその味を再現できるように
ツナの種類もしっかり覚えておこうとなった。

さあここからが本題。

美味しくできたツナステーキには
メバチマグロを使用したのだが
これが波乱の幕開けだった。

彼がGoogleでメバチマグロを調べると・・・

”マグロの中でも
水銀含有量が最高レベルで多い。
できるだけ食べるのを避けろ。”

とどのマグロサイトでも
警鐘を鳴らしているではないか。

おいおい。。。

たった30分前に

「このツナ、今まででベストの出来!」

とはしゃいでいた2人、撃沈である。

食べるなという警告レベルの代物を
毎週キャハキャハと食べてたがな、喜んで。

オメガ3、プロテイン取りながら
自分たちをゆっくり痛めつけていたとは。

まさかの顛末。

水銀がなぜマグロの体に蓄積してしまうか。

それは
人間たちが海に排出する産業廃棄物や
火山から出る有害物質が海に流れていくかららしい。

マグロの中でもより体の大きい
メバチマグロはよりたくさんの餌を
必要とする。

小さな魚が取り込んだ水銀を
メバチマグロが食べて・・・
そして人間様にという食物連鎖。

人間の場合は
水銀は少しの量なら尿と一緒に
体外に排出されるようだけど
あまりに頻繁に食べていると
それが追いつかないようだ。

人間がお金儲けのため、
経済のために行ってきたことが
結局人間に巡ってくるわけだ。

いやはや、あれがいい、これがいいと
大騒ぎの結果がこれですよ。

ワタシはまた
海と自然と人間と
経済(お金)のことを考えた。

お金はありがとうの数。

お金はあったほうが確かに自由だ。

しかし、お金がなくても
自分にはお金以上の価値があるから
大丈夫だと思えたら
あらゆることから精神的に
自由になれる。

ワタシは誰を喜ばせたいのか。

ワタシは誰に
ありがとうを言ってほしいかを考えた。

しかしまずは自分にもっともっと
ありがとうを言いたい、言わなきゃと気付く。

歩いてくれる足にありがとう。
おいしい空気にありがとう。
働けることにありがとう。
健康でいてくれてありがとう。
これをタイプする指があることにありがとう。

今日はね、図書館で過ごした
なんでもない時間がとても豊かでした。
図書館に連れて行ってくれた自分にありがとう。

大きなことよりも
小さな日常にキュンとする。

そうか。

自分にありがとうを言い始めてからの
臨時収入を思い出した。

ありがとうはそして巡る。

そういえば
今の彼が、会うたびに毎回

「これ好きだって言ってたよね。
買ってきたよ。」

と、ベビーキャロットとか
ビーツとか、ハワイアンパンケーキとか
パンプキンパイとか
これでもかというくらい帰りに
持たせて帰ってくれる。

時々、
どー考えても要らんからくれたんよね?
っていうのもあるけど(笑)。
賞味期限切れた生クリームとか。
へんなとこ神経質なくせに
こういうとこ無頓着。

最近は口にちゃんと出して
彼の週末に予定があっても

「土日どちらか空けれるようにしとくから」

と言ってくれる。

バスで行けばバス停で待っててくれる。
見送りもバスに乗るまでしてくれる。

元夫と付き合っている時や結婚していた時は
こういうことをしてもらっていなかったのか
あるいはしてもらっていたけれど
ワタシが気がつかなかったのか
とにかく、男性の口には出さない
こういう愛情があることに気がつけなかった。

そういえば、祖父も
ある夏に「おじいちゃんのきんぴら美味しい!」
って言ったら、それから滞在中毎日
きんぴらだったことがある。

男の人のそんな単純なところ、嫌いではない。

転がるありがとうの種にまず気付け!

20代30代の時の自分に言いたい。

言葉以外の愛情にちゃんと気がついて
(それは彼氏でも上司でも家族でも)
ありがとうをちゃんと言うべきだと言うこと。

人からたくさんの喜びを
毎日もらっていることに
多くの人は気がついていない。

それから自分からも
毎日たくさんの喜びをもらっているのに
自分にこそ厳しくしている。

自分や他人を喜ばせる前に
まずこのことに気がつくべきだ。

ありがとうの種はそこかしこに転がっている。

忙しい人はそれに気が付かないから
拾えずに踏みつけているのだ。

それが拾えたら
ありがとうを撒けるのに。

ありがとうを撒けばそれが
また自分に戻ってくるのに。

読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
画像提供ありがとう。

ありがとうは言われた側にも
徳が積まれていくそうです。


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