46万回のありがとう #183 物が減ると不安も減る
これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。
183日目。
断捨離中、物を捨てるときの心の分析をしていったら「不安だから取っておいた」だけのものが多いことに気づく。
実際にこれがないと困る!というのではなくて、不安になるのが嫌だから取っておく、という深層心理。
旅行に行くときに荷物が多い人は心配性だと聞いたことがある。旅先でああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、と未来のことを不安に思ってただただ物が増え、実際のところその荷物のほとんどは使うことがない。
物と向き合って自分の生き方が見えてきた。
本当に大事なものをちゃんと大事にしているか?
とりあえずでやってないか?
何が大切かすぐに言えるか?
ワタシのパートナー(アメリカ人)を見ていると、彼の物の持ち方がキャピタリズムそのものだと思うことがある。
足は2つしかないのに彼は25足の靴を持つ。
ワタシは7足で、それでも多いと思っている。
買ったばかりの帽子をもったいないと言って被らない。
所有することにお金は使うけど、使うことをしない。
彼には一体何が足りないのだろう。
いろんな意味で勉強になる。。。
何を埋めようとしているのだろうか。
ワタシはまだまだものを減らしたい。
役目を終えたものたちにはありがとうを言う。
その時の罪悪感、痛みを感じたことで衝動買いがなくなった。
自分にとって必要であり、それは得た後も美しさを放ち続けるか?そんなもの以外はもう、持ちたくない。
美しいといえば、先日もここで書いたのだが、20年以上使っていたサーモスの水筒くん。ついにパッキンがぱつんと切れた。
その翌々日、彼からTAKEYAの水筒をもらった。
なんというタイミング。だいぶ前にアメリカから取り寄せていたらしいのが、届いたのがこのタイミングだった。
しかしその水筒の色、形、全てが美しい。
ワタシの好きなパステルピンク。家のカーテンと同じ色。
家の中の小物ほとんどがパステルピンクの我が家にTAKEYAを置いたら、まるでアート(あくまで個人的主観)やないか。
これよこれ。
自分の中の“美しい“にハマるもの。
それがワタシのものを持つ時の基準だと悟った。
ただ美しいだけじゃダメで、自分の中にある美しいとハマる必要がある。
『衣』ではワタシの気持ちいいの基準はコットンだとわかってきた。
可愛いと思ってウキャッとする色はパステルピンク。
でも洋服の色は『赤』が好き。
『食』は今のところはこだわりはなし。全部美味しいと思えるのがワタシのいいところ。
じゃあ『住』は?と考える。
やっぱり海しか浮かばない。
海、海辺。海の近く。海の中。
朝早く、海で泳いで、それからコーヒーを飲んで仕事するのが憧れ。
自転車でチャチャっと海へ。
水着のまま家に帰ってシャワーを浴びて。
ここのところ毎週末海で泳いでいたので、先日仕事でZoom画面に映った自分が真っ黒でびっくりしたけど、なんかいい。
これこれって思った。ワタシの中でハマった自分の美しさ。健康美。
自分にとって必要なものがわかると、不安だからと物を買わなくなる。
不安といってもそれは結局、固定概念に縛られているだけってことが多い。
お鍋一つとってもそう。
パスタを茹でるときにずっと使ってきたお鍋。
それと全く同じ大きさの圧力鍋もあって、その圧力鍋は蓋を変えれば普通のお鍋としても使えるのに、なぜか自分で「パスタは圧力鍋で茹でない」って決めつけていた。
ワタシの彼が、「街歩き用」「運動用」「体育館用」「海歩き用」「海の中用」って用途に分けて靴を使い分けてるのにちょっと似てる。
でもそれって贅沢でもあるよね。
足のない人は靴を選ぶより先にまず足が欲しいと願うだろう。
それでもまだ足りない、って靴を買い続けているワタシたち。
応用がきくものを選ぶ、そして環境に優しい物を選ぼう、と最近物を買う時の基準が明確になった。
ありがとうを言い続け、玄関掃除、トイレ掃除、断捨離を続けていたら本当に自分の大切にしたいものが少しずつ見えてきた。
それは結局のところ、ものでもなくて、お金でもなくて、自分という存在。
そしてこの世界の素晴らしい自然。
読んでくれた人にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。