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P#12 計算づくの空

あの春の”青空教室”のあと、リエベンは空をよく見上げるようになった。

嬉しいときはその嬉しさがものすごく尊いものに感じる。嫌なことがあったときは、まるで空は全部知っていて包んでくれるかのような気分だ。曇りの日には晴れ間を探し、晴れた日は流れる雲が何に見えるかを想像する。

どこまでも続く空に自分の可能性を投影してみたり、この空の下に広がるまだ見ぬ風景、まだ会わぬ人々に思いを馳せてみたりもした。

春から夏にかけては一気に草木が芽吹く。屋敷の植栽も手入れが間に合わないほどだ。植栽といっても小さな垣根のものから三メートル以上もある大きな木など様々だ。

毎年、この時期は常時いる使用人以外にも町から人を雇って、作業に充てなければならない。当然屋敷の中でも、比較的時間に余裕がある使用人たちは一時的に駆り出される。それほど屋敷は広大だ。

今年は、一四歳になったリエベンにもそのお達しがきた。昨年とは見間違えるほど体も大きくなり、心だって随分とたくましくなった。

彼に任された仕事は切り落とされた枝木などをまとめては運びに行くという単純作業だ。しかし、これがいつもの厩舎の清掃や馬の世話などとは比べ物にならないほどの重労働である。

枝木を肩に担いで少し動くだけでじわりと汗がわく。朝から夕方までがリエベンに割り当てられた時間だった。それ以降は厩舎に戻る。そんなふうにして一日はあっという間に終わっていった。

パムはというと、また、リエベンを相手に“青空教室”を開きたがっていた。しかし、夏に向かって日差しが強くなってきたこと、また、植栽の手入れに加わったリエベンの忙しさを鑑みて、さすがの主人も今回はパムのおねだりを受け入れることはできなかったようだ。

屋敷の周りで作業するリエベンにとって、昼過ぎになると必ず始まるパムのピアノの音は癒しの時間だった。リエベンは時折作業する手を止めて音楽に酔いしれる。パムの奏でる音楽は、二人の置かれた異なる境遇を、静かにしかしはっきりとわけ隔てる一本の川のようだった。

物心ついたときから鍵盤に触れてきたパムだが、ついこの間までは集中力がもたず、座っているのが苦痛だった。しかし、集中できる時間が増えてくるとパムのピアノの技術はあっという間に向上し、周りを驚かせた。

夏が始まろうとする頃にはリエベンの外での作業時間も少なくなり、そのうち、剪定職人が一人でも賄えるほどの仕事量になった。いよいよリエベンのお役目も終了である。

毎日汗だくになって、枝のひっかき傷が絶えない仕事だったが、パムのピアノを毎日聴けるという特権があった。どうやったらこれからも聴けるだろうか。リエベンは真剣に考えては顔を左右に振り、自分を諭した。

剪定の手伝い最後の日の朝も、リエベンは父親の異変に気付いていた。

リエベンの父親も、この屋敷で働いている。リエベンがまだ幼い時に妻を病気でなくし、男手一つでリエベンを育ててきた。屋敷に来るまでは、町で働いていたが、人のつてもあって、この屋敷の雑務の仕事をもらうことができた。しかも、リエベンにも仕事をくれてやるという。彼の人生の中で一番の幸運だった。

屋敷に住みながら働け、また、当時、十一歳のリエベンを見てくれる大人が増えたのだ。屋敷はいわば、一つのコミュニティである。

そんなリエベンの父親は最近、胸や背中に痛みを訴えていた。近ごろはその頻度も痛みも増してきている。時折、部屋の中で、壁や家具にもたれて胸に手を当てる父親を見て、リエベンも心配していた。その日の朝もそうだった。

夜になってもなかなか気温が下がらない。その日の日差しは今年の夏一番の強さで、じりじりと地面を照りつける太陽は、まるで植物を痛めつけるのを楽しんでいるかのように意地悪だった。屋敷の中も昼間の熱がこもっている。かえって外の方が涼しいのではないかというぐらいだ。

リエベンも日中のあまりの暑さで頭がぼーっとしていた。静まりかえった部屋の異変に気付いたのは、父親が立てたコトンという小さな音だった。父親は胸に手を当てその場にしゃがみ込んでいる。リエベンがベッドから立ちあがるや否や、父親はついにばたりとその場に倒れこんだ。

「父さん!」

こんな苦しそうにもがく父親を見るのは初めてだ。どうしたら助けられるのだ。自分は何をしたらいいのだ。そうだ、まずは助けを呼ばなければ。

リエベンは目から今にもあふれてきそうな涙を拭きとって、なんとか一度大きく深呼吸した。それでも目の前が涙ですぐにかすんでしまう。泣いている暇なんてないのに!リエベンはそう叫びたかった。

「父さん、今助けを呼んでくるから頑張って。お願い。死なないで。ぼくを一人にしないで。今すぐ戻ってくるから!」

リエベンはそう言い放って、また涙をぬぐった。それでも、留めようのない涙がリエベンの目からあふれてきた。

生暖かい廊下の空気が、まるでリエベンの行く手を阻むかのようにまとわりついて離れなかった。


このお話はマガジンで#1から読むことができます。



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