P#13 万年筆と蝶
父親は帰らぬ人となり、リエベンは一人になった。悲しみで消えてなくなりそうな自分をしっかりと抱きしめる。
それでもその孤独は、夜になるとまた現れ、暴れ出す。泣いても泣いても涙が止まらない。泣き疲れていつの間にか寝るという日々が続いた。
屋敷の主人は、リエベンを気遣って彼に一週間の暇を与えた。しかし、暇をもらったところでリエベンには行くところもやることもない。
ベッドに寝転がっていると、悲しみの重さでベッドの奥底へと沈んでしまいそうな気持ちになる。悲しみを紛らわせたい一心で、父親の死から三日も経たないうちに、リエベンはいつも通り厩舎の仕事に自ら復帰した。
黙々と作業する姿は、まるで、この屋敷に来たばかり頃のリエベンに戻ったかのようだ。笑いもしない。目も合わせない。
屋敷の誰もがリエベンに言葉をかけられないでいた。たくさんの優しい言葉は発せられることなく、悲しい笑顔に変わるだけだった。
しかし、屋敷の末娘パムだけは違った。
リエベンの父親が亡くなった次の日から、手紙を書いてはハンナを通してリエベンに届けていたのだ。
別に返事が欲しいわけではない。ただ単に、リエベンを励ましたいだけだった。
手紙を送っても一向に元気にならない友達には何と言ったらいいのか。考えて考えてわからなくなったときに、ふと窓から見上げた空がとても綺麗で、思わず微笑んでしまった。パムは、あの時リエベンとハンナと一緒に見た空を思い出した。
そうだ。どんな時も空は変わらずそこにある。-そう思ったパムは急いでペンを執った。
どんなきぶんのときだってお空はずっとそこにあるんだよ。はなしかけたらいつもこたえてくれるんだ。だからリエベン、まずは上をみあげてみて!
リエベンは最初、手紙を開く気力さえなかった。しかし、ある日受け取った手紙の封筒に、小さく太陽の絵が描かれているのを見て、ふと、パムとハンナと三人で見た空を思い出して手紙を開けた。
偶然なのか、パムの手紙には空のことが書いてあった。それからも毎日届く手紙を読んでは、父親が寝ていたベッドの上になんとなく並べていった。
数日後のある夜、窓のほんの少しの隙間から風が吹きこんできたとき、パムからの手紙が床にパラパラと落ちた。リエベンはそれらの手紙を一枚一枚丁寧に集める。気づけば随分な数だ。
両手に抱えて落ちそうになったところで、リエベンはハッと思った。返事を一度も書いていなかったのだ。
リエベンは封筒や便せんを探そうと、父親と一緒に使っていたタンスを見つめた。父親は上の三段を使っていた。亡くなってから今日まで、父親の物を見るのは避けてきたが、どのみちいつかは整理しなければならない。
リエベンは決心して一番上の段を開けてみる。
そこには両手に収まるぐらいの木の箱が入っていた。蓋も何もついていない。さらにその中には革張りの古びた聖書が一冊と、蝶がモチーフになっているシルバーの髪飾り、それに万年筆と小さなインクが入っていた。
よく見ると、聖書には何かが挟んである。
「・・・ん・・・?」
リエベンはそれをゆっくりとひっぱりながら聖書を開いた。挟んであったのは一枚の手紙と写真だった。
手紙は封筒にすら入っていない。写真は母と父が結婚したときに撮ったであろう写真だった。初めて見る写真だった。
母親の写真はリエベンも一枚だけ持っているが、今リエベンが手にしている写真の母はもっと若い。リエベンは手紙に目をやった。
愛するリエベン いつまでもあなたを愛しています。あなたを抱きしめられなくなることは悲しいけれど、いつでもあなたのそばにいてたくさんの愛であなたのことを見守っています。ママより
それはリエベンが幼い時に病死した母親からの手紙だった。何度も手紙を読み返すうちに、リエベンは肩のあたりがじんわりと温かくなるのを感じた。それはまるで誰かに抱きしめられているかのような安心感だった。
母は本当に近くにいるのかもしれない。父はこの手紙をいつ見せるつもりだったのだろう。いろんな思いが彼の中に湧き上がってきた。
箱に残された万年筆とシルバーの蝶の髪飾りが鈍く光を反射していた。
つづく・・・
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