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46万回のありがとう #70 ネパールの少年
66日目朝。
「ホテルのラウンジミュージック」というタイトルの音楽をかける。
6畳の小さな部屋がホテルのラウンジ感で満たされる。
音楽だけでこんなにも豊かになれるなんて。
16の時、1年イギリスに留学した。
18でネパールを旅した。
それからもいろんな国を1人旅したけど、あの時ネパールで出会った10歳の少年の言葉に勝るインパクトはこの30年経験していない。
あの日ワタシは、ポカラという街のナガルコットの丘にいた。
ナガルコットの丘は、エベレストの山々を見渡すことができ、そこから望む朝日を求めて多くの観光客がやって来る。
夜明け前の暗がりのその丘に少年はいた。
10歳というが7、8歳にしか見えないほど小さくて痩せている。
「下の町まで早く帰れる道を知っている。
僕がガイドするから⚫︎ルピーでどう?」
まだ夜明けをみる前からそう声をかけてきた。
毎朝、観光客に言っているんだろう。
流暢な英語でセールスしてくる。
しかし、いかんせん、その道がどんななのかもわからない。渋っていたら
「ガイドしたお金で鉛筆を買いたいんだ。」
と言う少年。
でも、ワタシにはそれもセールストークにしか聞こえず、ガイドを断ってしまった。
鉛筆1本。
今考えたら、彼の素直な言葉だったんだろうと思う。
あの時のワタシは疑うだけで、「助ける」という発想をみじんも持っていなかった。
それは、常に「ある」ことが当たり前の世界と日々にいたから。ありがとうという感謝がなかったから。
その後のネパール滞在で、小さな商店はどこに行っても品薄で、常に「ない」が当たり前になると、ワタシの当たり前も変わってきた。
鉛筆1本。
「ありがたい」とも「もったいない」とも思ってこなかったけど、鉛筆1本でできることはたくさんある。
少年は「鉛筆を買って勉強したい」と言っていた。
勉強できることが当たり前の人からこの言葉が出るはずがない。
なぜあの時、ガイドを頼んであげなかったのか。
ただでお金をくれとは言ってなかったのに。
ちゃんと仕事をして、その先の目標が鉛筆なだけだったのに。
ワタシはずっと後悔してきた。
ありがとうを言いはじめると過去にまで遡って、ありがたかったなぁを感じることがある。だからこそ今、この瞬間への感謝が倍増している。
少年よ、ごめんなさい、ありがとう、許してね。
家があって、食べ物があって、美味しいコーヒーがあって、こうして表現できる場所がある。
素敵な音楽をきいて、全細胞が喜ぶ。
ありがとうをいい始めると、周りに優しくなれる。
少なくとも、どうすれば良いかを人のためにも考えてあげられる。
思ってるだけじゃなく、形にしていくことが大事だ。
昨日、しばらく体調不良が続く彼に、プレミアムなバナナとアボカドどりんごとミニトマトをあげた。
その人が何を喜んでくれるか考えることは良い思考の使い方だ。
心配ごとに想いを巡らすのではなく、相手がどうしたら喜ぶかに頭を使い、喜びのために喜んでお金を使う。
彼はとても喜んでいた。
ワタシはもっと嬉しかった。
ありがたいなぁ。
読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にもありがとう。
ありがとうは、言われた側にも徳が積まれていくそうです。