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私はスーパーサイヤ人になりたかった
柔らかな陽光が差し込む教室で、通信制高校の生徒たちに向き合う私は、普段と変わらぬ笑顔を浮かべていた。
彼らはそれぞれに事情を抱えながらも、懸命に高校卒業を目指している。
先生として、母として、彼らを支えることにやりがいを感じていたが、最近は心のどこかが少し揺らいでいた。
家では、思春期真っ只中の息子の態度に悩まされている。
中学2年生の息子は、かつての可愛らしい姿は影を潜め、反抗的な言葉を吐き、私を避けるようになっていた。
小さい頃から自立心が強く、あまり甘えなかった彼が、中学に入ってから喧嘩がエスカレートし、学校からの電話が日常茶飯事になっていた。
「また息子さんがクラスメイトと喧嘩をしてしまいまして……」
電話越しの担任の声に、心が重くなる。
学校に足を運び、謝罪を繰り返す日々。
愛情を注ぎ、両親揃って育てているつもりなのに、なぜ息子はこんなにも荒れてしまったのか。
私自身、中学・高校と受験勉強に打ち込み、みんなが憧れる大学に進学した。
努力すれば夢が叶うことを知っている自分を誇らしく思っていた。
だからこそ、息子が勉強を嫌いで、努力もしない姿を見るたびに、もどかしさが湧き上がる。
けれど、不思議と「勉強しなさい」と強要する気にはなれなかった。
高卒でも中卒でも、自分の道を見つけられればそれでいい――そう信じていたからだ。
だからこそ、どうして息子がここまで荒れてしまうのか、わからなかった。
息子が5歳の頃、空手を習わせ始めた。
ずば抜けて強いわけではないが、息子には格闘技のセンスがあった。
私と一緒に全日本大会を観に行ったとき、息子が舞台の上の選手たちを真剣な目で見ていたのを覚えている。
そのとき私は、いつか大人になった息子が、あの舞台で輝く姿を想像していた。
だが、息子はだんだんと空手を嫌いになり、練習にも行かなくなった。
そしてある日、些細なことで親子喧嘩をした際、道着を床に蹴り飛ばし、そのまま辞めてしまった。
「勿体ない……」
息子の空手のセンスを惜しいと思う自分がいた。
チャンピオンになれる素質があるのに――そんな思いが頭を離れなかった。
ある夜、子供たちが寝静まったリビングで、私は昔のアルバムなど思い出の詰まった箱を開いていた。
ふと、小学生の頃に書いた寄せ書きが目に留まる。
「将来の夢は?」と題されたそのページには、稚拙な字でこう書かれていた。
「スーパーサイヤ人になりたい。」
そうだった。私は昔、スーパーサイヤ人になりたいと思っていたのだ。
スーパーサイヤ人というのは、ドラゴンボールという漫画の中の「強さの設定」だ。怒りのスイッチが入ると、髪の毛が金色になって逆立ち、筋肉が隆々としてきて、最強になるのだ。
クラスの子に泣かされるたび、近所の友達にからかわれるたび、強さへの憧れを募らせていた。
けれど、受験勉強に打ち込む中で、その夢は忘れ去られていった。
息子に空手を習わせたのは、勉強ではなく、喧嘩が強い自分に憧れた幼い頃の私の夢を投影していたからだったのだ。
息子を通して、かつての自分の夢を叶えたかった――それに気づいたとき、胸が締め付けられるような後悔が押し寄せた。
翌朝、私は朝食の席で息子に言った。
「空手、辞めてもいいよ。本当に好きなことを見つけてほしい。それが何でも、応援するから」
息子は一瞬驚いた顔をしたが、無言で目を伏せた。
気づけば、息子の喧嘩のことで学校から電話がかかってくることは無くなっていた。
通信制高校の生徒たちに向き合いながら、私は息子にも、彼自身のペースで生きていく道を見つけてほしいと思う。自分の思いを押し付けるのではなく、彼の選択を尊重すること――それが、私にできる唯一の「強さ」なのかもしれない。