ひとの子。だけど、私の妹であり、娘。
自分の子どもではない、親戚の子でもない、言ってみれば他人の子。そんな子どもの気配がある暮らしは、考えてみれば不思議だなぁと思う。
2歳の女の子がいる3人家族、春から大学院生になる男の子、そして私。そんな5人で1軒家に住んでいて、血はつながっていないけど、家族みたいに過ごしている。
本当だったら、独身で気ままに過ごしている自分が帰る場所は、人の気配がなくて寒い家。でも5人で住んでいるから、仕事から帰ると、たいてい家からは明かりがもれているし、子どもの笑い声や泣き声が聞こえてくることもあるし、おかえりと声をかけてくれる人もいる。
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きっと少し前までは、家族が多くて、まわりには顔見知りの近所の人がいて、年代を超えた交流があたりまえのように、そこかしこに存在していたんだと思う。私が小さい頃は、隣に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんが好きで、家の窓から「リリー(お隣で飼っていた犬の名前)のおじいちゃーん!」と呼んでは、可愛がってもらっていた記憶がある。
最近は、都市部に行くほど、そんなつながりもどんどんなくなっているなぁと感じる。それは、気楽なことではあるかもしれないけど、寂しいことだなぁとも、つまらないなぁとも思う。
だからこそ、他人なのに、実家でもないのに、家族のように過ごせる家がとってもありがたいし、私と仲良くしてくれる親戚でもなんでもない他人の子を、実の妹か娘のように思っている(笑)
風邪をひいて保育園をお休みしているときは、交代で面倒をみたり、お風呂に一緒に入ることもあれば、寝かしつけをすることもある。
年下の兄弟の面倒をみるのと変わりないし、もともと保育士だったから、子どもと接することに慣れているのも大きく影響しているとは思う。でも、自分でも不思議なくらい、他人だけど家族のように過ごしている。
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今のシェアハウスに住まわせてもらうようになったのは、本当にめぐりあわせだったので、こういうところに住もうと予定していたわけではないけど、とても得難い機会だった。
子どもがほしいとか、結婚したいとか、そういった希望が現時点で限りなくゼロに近い私だけど、こんなふうにお互いを気にかけながら、時間と空間を共有する仲間がいるのは、いいもんだなと日々思っている。
P.S.
ちなみに、「家族」という概念をもっと深掘りしながら、実践している「Cift」という取り組みがあることを少し前に知りました。家族というキーワードが気になった人には、引っかかるものがあるかもしれないと思ったので、ご紹介しておきます。