一生治らない病気に決着をつけ、カナダに留学することにした。
ある日突然SIBOになった。
きっかけは、10年以上経った今でもわからない。
よく言われる虫垂切除(いわゆる盲腸)とかもしていない。ただ、いつのまにか私の小腸の中には菌が異常に増えていて、小腸が絶えずガスを生成して、それを身体の外に出そうとする。24時間いつおならが出るか分からない体質になっていた。
その日から、自己肯定感がすり減らされていった。
もはやSIBOになる前、いつ、どのくらい私はおならをしていたんだろうか、分からない。
中学も高校も漏れなく「臭い」というワードとともにいじめられた。
「あとどのくらいこの地獄が続くんだろう。」
40人ほどの生徒がぎゅうぎゅうに詰められた自称進学校の教室の一席で、毎日授業の前後に起立と礼をする度にそんなことを考えていたし、そう考えている一瞬も、いつおならが出るか分からない。
たった3年間の高校生活、たった1時間の授業だったのに、毎日を永遠のように長く感じていた。
SIBOになって10年以上経った今、安全なところにいるのに、あの時そう思っていた私は私の中で永遠に生きてる気がする。
何が私をSIBOにさせたんだろう。食生活か、運動不足か、ストレスか、遺伝か、その全部か。
SIBOになった10年間ずっと考えていた。
看護師になって毎日色んな疾患の患者さんを見た。
カルテでその人の現病歴を見て、既往歴を見て、その人の疾患について考えていた。
何がその人をその病気にさせたのか。ある患者さんは職場で粉塵を吸い込んで肺炎になっていたし、アルコールの多飲で肝硬変になっていたし、コロナの検査で偶然癌が見つかった人もいた。
自分のSIBOの解決のヒントも毎日探していた。
SIBOの治療で有名な病院に行ったりもした。
「あなたはSIBOです」という確定診断はついたけど、なぜそうなったのかは確定診断のために行った呼気検査だけでは分からない。いわゆる原因不明。看護師になる前は分からなかったけど、そういう疾患は臨床ではわりとよくあることだった。
SIBOになった自分のこともずっと許せないでいた。
もっとあの時ちゃんと運動したり生活リズムに気をつけていたらこんなことにはならなかったのかもしれないと、10年間SIBOのことを考える度にそんな思いが湧いていた。
SIBOにさせる遺伝子を引き継がせたかもしれない親のことも許せなかった。そんな遺伝子を引き継がせるな。
10年経って一向にSIBOが完治する気配はない。ずっと私の小腸にいる。
しかし、考え方は変わってきた。
あの時、2010年の私は、自分がSIBOになることを予測できていただろうか。
自分がある日からSIBOになることが分かっていて、それを避けれたんだろうか。
舵を切ってSIBOの無い人生に方向転換できていたんだろうか。
SIBOは向こうから勝手に私の人生に突っ込んできた。
青信号の横断歩道を歩いていて、突然横からトラックに突っ込まれるみたいなもので、きっと自分にはどうすることもできなかった。
SIBOに限らず、この世にはそういう問題が結構あるということが分かった。
私の場合はそれがたまたま身体の中で起こったというだけのことだった。
ならこれからどうしたら良いんだろう。
避けれなかったボールのことは、もう仕方ないのだと思うようになった。
あとは、命尽きるまで走り続けるだけだった。
ただあの頃毎日生きてくれた10代の私のために、残りの人生で自分にできることを最大限やり切るだけだった。
安全な場所でひっそりと息をして生きることはできるけど、
危険を冒さない人生はなんだか温度を感じない。
どうしても手に入れたい未来があるから、怖いけど危険を冒すことにした。
もし死ぬことになっても、自分の身体も能力の限界も全部わかっていけるところまで行ったことを誇りに思いたい。
そういうことで、6月から単身カナダ留学が始まります。