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🎧audible: 一切皆苦
※過去記事を振り返って、音声ファイルにしたシリーズです。
われわれの存在とは確固とした実在などではなく、観測という行為によって成り立つ儚い刹那ではないかと仮定します。するとわたしがいなくなるとそのつながりを失ってしまうたったひとひらの欠片が儚くも愛おしく思えてくるのです。
その関係性の中にこそわたしの生があるのですから。すると、この一瞬の中に精一杯であること意外に期待はなくなります。この世の一切は苦しみだというとき、それは文字通り苦しみに満ちているということではなく、この世の一切は関係性からくる虚であるということだとわたしは思うのです。
生は虚voidそのもの、それが「苦dukkah」の本質なら、存在とは心が虚のなかに映し出す意味の場(つながり)でしかありません。 「一切皆苦」とは、そのような世の理ことわりのことではないかと思うのです。